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思い出し旅行2002 ~アフリカ大陸縦断 ジンバブエ編 その3~

2017年4月12日

どもども~(^^)v

本日は「思い出し旅行2002」の日でございます。

この記事を書いた人

巨大NGOの下部組織(ブラック)で事務職という名の雑用の後に、なんとなく一人で仕事をしてみようと2008年後半から知識や資金などなど、重要なモノがほぼ0の状態から園芸を生業にした元バックパッカーです。2010年から度々NHK Eテレの趣味の園芸に出演させて頂いています。

もう少し詳しいプロフィールはこちら

前回の内容

前回は、

首都・ハラレでの宿は「ホテル・ジャカルダ」。同部屋の出稼ぎザンビア人に意味を教えてもらい初めてそれが植物の名前と知り、さらに宿の前の道の街路樹がそれでちょうど満開でさらにやや感激。それと、過去の人類史でも数例しかない「ハイパーインフレ」の真っ只中を経験。闇両替のおかげでちょっといい思いができました

といった内容でしたかね(;^_^A

前回の内容はこちらで↓

ジンバブエからは行動を共にする人が現われたのでまずは登場人物紹介から。

登場人物紹介

・僕・・・当時21歳。大学休学中(4年生)。月300時間というバイト生活6カ月を経て一旦アイルランドへ。3カ月間毎晩アイルランドで飲んだくれた後にエチオピアの国境の町からケニアの首都のナイロビまでの約1000kmの野生動物いっぱいの道なき道をヒッチハイクで駆け抜けたい!という理由だけでアフリカ大陸の縦断を決意し、

とても興味があったルワンダの虐殺記念館を訪れることができ、現在は世界三大瀑布のビクトリア・フォールズに向けて一人でアフリカ大陸をブラブラしてます。

Eちゃん(女)・・・九州出身。当時26歳。看護師。バングラデシュのよくわからない村に1ケ月1人で生活していたという強者。アジア大陸横断済み。僕とはエジプトのアスワンからウガンダとルワンダの国境までの一ヵ月ほど共に行動していた。まさかのリロングウェ発ジンバブエ・ハラレ行きのバスでの再会(^^;)

ジンバブエ共和国、通称ジンバブエは、アフリカ大陸の南部に位置する共和制の国家である。首都はハラレ。内陸国であり、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ、南アフリカ共和国に隣接する。2003年に脱退するまでイギリス連邦の加盟国であった。 ウィキペディア 
人口1415万 (2013年) 世界銀行
通貨アメリカ合衆国ドル、 ランド、 ユーロ、 人民元、 インド・ルピー、 スターリング・ポンド、 プラ
公用語英語、 ショナ語、 北ンデベレ語、 ツワナ語、 コサ語、 チェワ語、 ヴェンダ語、 ツォンガ語、 トンガ語

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皆既日食を見に行くことに

きっかけ

なぜ唐突に皆既日食?

という流れになりますが、アンディーとムランジェ山からリロングウェの宿に戻ってきた時に一人の日本人旅行者の人から

「皆既日食ってどのあたりで見る予定ですか???」

と尋ねられ、当時も今も理科系のことは単語を聴くだけで苦手意識というか避けたくなる性質なため、それとアンディーともあまり天体観測的なことは話に出なかったので

たぶん見ないんじゃないかと

みたいな話をして、会話をブッた切った訳なんですがその後、再会したEちゃんからも皆既日食の話が出まして・・・部分日食は見られても皆既日食はなかなか日本では見られないから一生の思い出になるよね~

と言われ・・・・でもあぁそうなんかくらいにしか思ってなかったのですが。

結局見に行くことに

本格的に、なら見に行こうかな、と思ったのは、僕らが最初に宿の宿泊交渉を行いEちゃんが泊まれた宿というのは、

実は当時の南部アフリカ諸国最大の「日本人宿」でしてね。

「日本人宿」の詳しい説明は端折りますが、文字通り「宿泊客の8割以上が日本人という宿」で情報が交換ができるということもあり世界各地に点在しています。

「日本人宿」があるので、もちろん「〇〇人宿」と呼ばれる宿もあります。多いのは「欧米人宿」や「白人宿」ですかね。

そのためハラレでは僕が泊まっている宿は隣の宿で別でしたが、歩いて数歩の距離だったのでよくその宿に行き、ひっさびっさに(二カ月ぶりくらい?)同じ国籍の人たちでご飯したり行動してました。

当時30人くらいの日本人宿泊客がいましたが、

20代前半の人は、というか学生は僕以外ではもう一人しかいなくて、見た目が若く年が近いKくんと仲良くなりハラレではほとんどKくんと行動してましたね~

で、脱線しましたがこの宿に泊まっていた人が

「皆既日食ツアー」を組んでくれることになり、隣の宿でしたがKくんも熱心に皆既日食を語ってくれるので(Kくんは都内の国公立大の理科系学部)、

まぁ行こうかな、ということで2002年12月4日だったかな?の皆既日食を見にいくことに。

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まるで修学旅行

ツアーを組んでくれた人からは、

  • ジンバブエ第二の都市・ブラワヨから数キロ離れたところが一番長い時間、皆既日食を見られる
  • 移動は電車で、宿代を浮かすために夜行電車で
  • ブラワヨから目的地まではタクシーというかバスをチャーターしてある
  • ブラワヨで1泊、次の日皆既日食、その後解散

という説明を受けましてね。

この辺りの説明を宿のエントランスに集めて話をするあたりが、やはり日本人だな、と修学旅行に行く感じだな、と 笑。

僕はホントにめんどくさがりやなので、自分のこと以外のことを自分でいろいろ手配するのはあまり好きではなくてですねぇ、

しかも知らない人をこういった感じでオーガナイズしてくれるのはホントにありがたかったですわ(^^;)

で、

ハラレからブラワヨまで夜行電車に乗り込んだんですが、なんせ日本人旅行者がいきなり30人くらい乗り込んでくるんですからねぇ~現地の人もビックリしてましたわ。1部屋4人分のベッドがある寝台に乗りましたが、

なぜか僕とKくんは現地の人と2名+子供と同部屋で・・・・ま、ちょっと話したら仲良くなってしまい楽しい夜行寝台電車でした(^^;)

皆既日食ツアー

到着した日はおとなしく

ブラワヨに到着した当日は各自自由行動でしたが、目的が皆既日食だったので町をブラブラしただけじゃなかったかな~Kくんと。

皆既日食は確か次の日のお昼前だったので、次の日はそれほど早い時間に起きなくてもよかったですが、かなり早い時間に寝た気がします 笑。やることがなくて(^^;)

アフリカで皆既日食を見ると

こんな感じのダイヤモンドリングも見られました(^^)

んで次の日にバスに揺られて、ブラワヨから南アフリカの方面へ。当時はスマホのようなモノがなかったので自分がいまどこら辺にいるかなどがわからず、

ツアーを組んでくれた日本人の方がドライバーと地図をにらめっこしながら走っていたのですが、

移動している最中からなんだか空というか雰囲気が変わってきましてね。

野生動物なんかがいる地域に近いということもありましたが、開けた場所に車を停め車から降り空を見上げていると徐々に辺りが暗くなり始め・・・・

明るい時間に暗くなる訳ですから野生動物達がややパニックになりましてね~

特にトリ。

真っすぐ飛べず、一斉に鳴きまくっているので明らかに動揺してるのが目でも耳でもわかり太陽の陽がなくなるとこうななるんだと、すごく興味深かかったですね。

他にも姿は見えなかったですが、遠くではやたら吠えまくってる大型野生動物の鳴き声も。現地のドライバーも皆既日食が初めての経験で、野生動物が動揺しているのが面白い、と言われてましたね。

んで、肝心の皆既日食は色んな人に絶対に見ておいたほうが良い!と言われる価値はあったかな 笑。

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解散

皆既日食からブラワヨに戻り・解散だったんですがその日夜の夜行電車でハラレに戻るグループとビクトリアフォールズに行くグループに分かれることに。

僕は元々ジンバブエには世界三大瀑布の北米・ナイアガラ、南米・イグアス、アフリカ・ビクトリアフォールズ

ビクトリアフォールズ

を見るために来たのでビクトリアフォールズに行くグループに入りましたが、

グループと言っても自分を含め4名しかいなく 笑。

1人は愛知県出身のSさん夫婦(当時29歳)と九州出身のMさん(当時29歳 美人!)で、寝台電車の一部屋を4人で独占しいざビクトリアフォールズへ。

ここでエジプトで知り合いウガンダで別れ、マラウィで再会したEちゃんとは別れることに。Kくんとは最終目的地が同じだったので、ケープタウンで会おう!と言って別れました。

気に入ったお店

南部アフリカ諸国のチェーン店のChicken Inn。通いました(^^)

唐突ですがジンバブエにいる時に発見し見つけるたびに入っていたお店の紹介を(^^;)

アフリカっぽくない、どちらかと言うと欧米式のキャラクターが目印のChicken Inn。ケン〇ッキー・フライドチキン的なファーストフード店なのですが、

どうもこのタッチの絵が好きでとにかく良く行ってました。上の写真はKくんに撮ってもらいました 笑。

ブラワヨでは〇〇 Innグループが勢ぞろい!!!!

ブラワヨの町を歩いている時にこの勢ぞろいステッカーを発見しKくんとむっちゃ笑いましたね~

他にも刺客がいたか~Photo Innってもはや食い物ではないし~ってかBakers Innだけ人間だし~

とか言って大笑いしてましたが、今思うとなにが面白くあんなに笑っていたのだろうか・・・・。

次回は

次回は、

ビクトリアフォールズとバオバブの木

になります~

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ではでは~(^^)v

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