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(元)バックパッカーな園芸家・伊藤章太郎がとりあえず植物のことを中心に、それと昔の旅行記のこととか綴ってます。

(新)ショウタロウブログ



思い出し旅行2002

思い出し旅行2002 ~アフリカ大陸縦断 タンザニア編 その3~

更新日:

どもども~(^^)v

本日は「思い出し旅行2002」の日でございます。

前回の内容

前回は、

タンザニアの内陸部からキリマンジャロの麓の町・アルーシャまでのバスに乗ることになったのですが、受付では12時間で着くよ~と言われたものの絶対に12時間では移動できる距離ではなかったため(実際先ほど測ってみたら約1000kmありましたorz)、途中休憩はあるものの(盗賊の村がある、など)アルーシャまで同じバスに31時間、アルーシャからモシまで2時間の計33時間の移動を経験しました。

といった内容でしたかね(;^_^A

前回の内容はこちらです↓

それでルワンダからは1人になりましたので、登場人物は基本的に当面は僕だけになります。

1人になりましたので、やや内容も変えました(^^;)

登場人物紹介

・僕・・・当時21歳。大学休学中(4年生)。月300時間というバイト生活6カ月を経て一旦アイルランドへ。3カ月間毎晩アイルランドで飲んだくれた後にエチオピアの国境の町からケニアの首都のナイロビまでの約1000kmの野生動物いっぱいの道なき道をヒッチハイクで駆け抜けたい!という理由だけでアフリカ大陸の縦断を決意し、

とても興味があった世界三大瀑布のビクトリア・フォールズ、ルワンダの虐殺記念館に向けて一人でアフリカ大陸をブラブラしてます。

タンザニア連合共和国、通称タンザニアは、中央アフリカ東部の共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、ザンビア、マラウイ、モザンビークと国境を接し、タンガニーカ湖対岸にはコンゴ民主共和国があり、またインド洋に面する。 ウィキペディア
国番号+255
通貨タンザニア・シリング
人口4925万 (2013年)
公用語スワヒリ語、 英語

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キリマンジャロ

日本語が話せるナイスなタンザニア人くん

30時間近く一緒のバスに乗っていたのに関わらずシャイなのか、日本語がペラペラなナイスなタンザニア人くんのオススメの町・モシでは体力回復のため2日か3日ほどゆっくりしました。

なんせ3日前はルワンダに入国した日ですからねぇ・・・・このルートを陸路で一気に移動する人自体がそれほど多くなく・・・・(-_-;) そりゃゆっくりもしたくなりましたよ^^;

日本語がペラペラなナイスなタンザニア人くんは主にキリマンジャロ登山をまとめる旅行会社で働いているようで、キリマンジャロへ行く個人旅行者はそれほど多くなく、テレビ局などの撮影隊が主にお客さんだと言われてましたね。

「〇〇テレビってテレビ局知ってますか?」や「〇〇というタレントさんが来ましたよ~」

とニコニコしながら教えてくれました。宿の前で(-_-;) 僕もキリマンジャロ登山をススメられましたが、とてもそんなお金はないよ~というとニッコリしていたのが印象に残ってます。

宿

いろいろ検索しましたが、僕が泊まった「Coffee Tree Hotel」は現在は名前が変わっているのかな~それっぽい画像は何枚か出てきてますが名前が違うので断定できず・・・・

でもこの宿は安宿ですが7階か8階建てで屋上が360℃パノラマの食堂になっていて、キリマンジャロの山頂を見ながら食事ができるというなんとも贅沢な安宿で、

麓の町ということもありそこそこ高さのある建物だっため、天気が良い日なんかは山頂付近にいる人を見ることができるくらいのロケーションの宿でした。キレイでしたので、ゆっくりするにはとても良い雰囲気でした。

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ブラックアフリカに入って初の日本人!

この宿の入り口でボケ~っとしていると、僕よりも年が少し上の日本人旅行者と知り合いウガンダで別れたKさんとEちゃん以来、というかこの二人以外ではブラックアフリカに入って初めての日本人とばったり会いましてね。

彼自身もほとんど会わなかったようで、年も比較的に近いということもあり2日間ほど彼と行動を共にしました。確か彼は写真が好きでケニアとタンザニアで動物や景色を撮りに来た、と言っていたと思います。

そのため僕が

「エジプトから来ました。」

というとすごくビックリしてましたね(^^;) 宿の前にあった大衆食堂屋で食事をしたり何もないモシの町を歩いたりとリラックスできました(^^;)

ダルエスサラームへ

モシからダルエスサラームまではこのように舗装された道でした(^^) アフリカに入り初めて何百キロも舗装されている道路を経験しました。

体力&気力を回復させた後にモシからダルエスまでのチケットを買い、窓口では確かバスで8時間ほどで到着すると言われいざダルエスへ! 8時間か~近いな!という感覚になってました(^^;) 

タンザニアの首都ではないけど世界で一番知られた町・ダルエスサラームへはアスファルトで舗装されていて、ダルエスサラームへは15時くらいの到着予定でした。

バスは発車し流石にアスファルトだとお尻が痛くないわ~と思っていると・・・道には片側ほどの大きな穴が空いている個所がいくつもあり、タンザニアの暗黙了解なのか反対車線に出て穴を回避するこということをせず穴を通過する度に超減速をし、ということを穴の度に何回も繰り返し・・・・

しかも普段のメンテナンスをしていないせいかタイヤがパンクをし・・・・しかも2回orz

というか2回目のパンクの時点で到着予定の15時を過ぎていましてね・・・・

治安の良くない所を旅行するのに鉄則があるのですが、

暗くなったら出歩かない

というもので・・・ナイロビなんか17時を過ぎたら町の雰囲気が一気に変わりましたし(悪い方に)、実際にそれを感じていたので

「ダルエスにはいったいいつ到着するんだろう・・・・(戦々恐々)」

と一人バスの中でやや心配になりまして・・・・(-_-;) しかもバスターミナルが新しくなったばかりの時で町中だったのが郊外に移転したばかりで・・・

  • 土地勘がまったくなく
  • 暗くなってからの大都市に到着
  • バックパックを背負っているために体の自由が効かず、なおかつ目立つ

という暴漢&強盗に襲われる確率が、というか文字通り

「カモがネギをしょっている状態」

でダルエスに着いたら宿探しをしないといけなく・・・・

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夜のダルエスに到着

15時到着予定が6時間遅れ21時くらいにダルエスに着きまして・・・・案の定いま自分がどこにいるかまったくわからず、かと言って治安の面でウロウロしようもんなら強盗の的になるだけなので、

「とにかく早く移動しないと!」と直感が働き、バスターミナルなためピックアップトラックはたくさんありすぐに見つけたピックアップの車掌に、

町の中心部にあるYMCA(安宿チェーン店)近くに行くか?

と聞き「YES,YES」と答えたものの「こいつただ客を取りたいだけじゃないか?」と疑いましたが、もう信じるしかない!ということで乗り込みました。

・・・・20分くらい経ったでしょうか。

暗いながらも町の風景を見ながら直感でなんとなく「ここだ!」と思い降り(遠くから車掌が何か言ってましたが)、小走りで一直線に知らない町の知らない道を走ってみると

なんと・・・・目の前にYMCAが!!!!!

自称・方向感覚は優れている方ですが、この時は自分の勘にはビックリしましたね~笑

事前にダルエスの町の地図は頭の中に入れておいたので、なんとなくいまこの辺にいてここを真っすぐ行けばYMCAではないかと(^^;) こういう感覚を超感覚と言うのでしょうか笑

しかしながら受付が終了していたら元も子もなく・・・・正面の門は空いていたものの建物はしっかり施錠されていて、もうここに泊まれないと行く所がないんじゃ~!とばかりにノックしまくっていたら、従業員の人が招き入れてくれましてね。

でもまさかこんな時間に宿泊客がやってくるなんてことを思ってなく、しかも外国人が 笑。荷物を置いたらご飯食べに行ってくるからまだ寝ないでね、と伝えご飯を外で食べ長かったこの日は終了(^^;)

しかしながら、

ブラック・アフリカに行っても絶対に暗くなってから荷物を持って外出しては厳禁!!!

次回は

次回は、

ダルエスをプラプラ歩きザンジバル島に向かいます

 

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ではでは~(^^)v

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