(新)ショウタロウブログ

(元)バックパッカーな園芸家・伊藤章太郎がとりあえず植物のことを中心に、それと昔の旅行記のこととか綴ってます。

思い出し旅行2002

思い出し旅行2002 ~アフリカ大陸縦断 タンザニア編 その1~

2017/02/05

どもども~(^^)v

本日は「思い出し旅行2002」の日でございます。

前回の内容

前回は、

主にキゴンコロの虐殺記念館で死体の山を見た後に首都のキガリに戻り、またもや乗り継ぎがうまくいってしまい国境へ向かうも、ガイドブックには60kmくらいと買いてあるものの5時間近く経っても国境に到着せず焦りながらも、国境が開いている時間にタンザニアに入国!

といった内容でしたかね(;^_^A

前回の内容はこちらです↓

それでルワンダからは1人になりましたので、登場人物は基本的に当面は僕だけになります。

1人になりましたので、やや内容も変えました(^^;)

登場人物紹介

・僕・・・当時21歳。大学休学中(4年生)。月300時間というバイト生活6カ月を経て一旦アイルランドへ。3カ月間毎晩アイルランドで飲んだくれた後にエチオピアの国境の町からケニアの首都のナイロビまでの約1000kmの野生動物いっぱいの道なき道をヒッチハイクで駆け抜けたい!という理由だけでアフリカ大陸の縦断を決意し、

とても興味があった世界三大瀑布のビクトリア・フォールズ、ルワンダの虐殺記念館に向けて一人でアフリカ大陸をブラブラしてます。

タンザニア連合共和国、通称タンザニアは、中央アフリカ東部の共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、ザンビア、マラウイ、モザンビークと国境を接し、タンガニーカ湖対岸にはコンゴ民主共和国があり、またインド洋に面する。 ウィキペディア
国番号+255
通貨タンザニア・シリング
人口4925万 (2013年)
公用語スワヒリ語、 英語

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いかにもアフリカにありそうな名前の町に到着します(^^)

アフリカを実感

ニャカサンザに向かう途中はこんな景色でした その①

ドタバタでルワンダ出国、タンザニア入国を行ったせいかかなり焦っているように見えたのかタンザニアの入国の時に入国審査官から

「ポレポレだぞ~日本人 笑」

と言われましてね。

「ポレポレ」・・・・スワヒリ語だ!ケニアに2週間いたかせいか、なんか急に安心しました。それも「ポレポレ」の意味は「ゆっくり」という意味でしてね(^^;)

焦ってもしょうがないんですよね、僕らみたいな自由人は。

タンザニアに入国し今夜の寝床を確保するためには町なり村なりに行かなくては!ということで、運転手に「宿のあるところまで」と伝え乗車。

にしても、ルワンダ側からタンザニアに入ると景色が一転。「アフリカのスイス」と呼ばれるルワンダとは違いタンザニアに入った途端に「山」や「渓谷」が一切見えなくなり・・・・まさにサバンナの大地。中央アフリカに近いせいかなのか気候がそうなのか隣国のケニアとはまた違う見え方だったサバンナ。

ニャカサンザに向かう途中はこんな景色でした その②

実際はもう少し暗かったですが、まさにこのような低木と背の引くいグラスしかなくアフリカ大陸独特の赤土。一本道の向こうの地平線に沈んでいく太陽の景色はいまでも脳裏に焼き付いていて、

この時初めて

「アフリカに来た」

ことを実感。 一人で旅行を満喫していることも実感。

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絡まれる

とピックアップの中で感動に浸っていると、前の方から

「へい!チャイナマン!これからどこに行くんだい?」

と決して色黒ではない・でも現地人っぽいニット帽をかぶった男から声を掛けられる。ちなみに僕は海外に行くと「日本人という国籍を所有していること」に対して強いこだわりを持っていたため、彼らにとっては東洋人っぽい見た目の人種はみな中国人であり、韓国人なのか日本人なのかはどうでもよく、とりあえず東洋人はみな「チャイナ」とか「ブルース・リー」と言っておけばOkという慣習がすごくイヤで、

「へい!チャイナマン!」

と言ってくる輩はには(実際はスーダンあたりから言われまくってきてましたが)、基本的にすべて無視をしてきてました。

しかしながらこの男はその後もベラベラ話しかけてきて、いい加減むかついてきたので

「あのさ、もしオレがチャイナマンではなかったどうする?オレがおいケニア人、うるせーぞ、少しは黙ったらどうだっと言ったらお前はどう思う?」

と言うと、急に「それは悪いことを言っていた。たいへん失礼なことを行っていた。謝らせてくれ」、とまさかの返答。

そしてニャカサンザの村に着くと彼も降り、知り合いの宿を紹介してくれついでに飲みに行こうということに。

アフリカ大陸の中央部にDJブースが

飲み行った先には村で一番明るい場所。そこは電気の無い村で唯一電気があり(巨大発電機がある)夜に食事ができお酒が飲める場所で、

アフリカではどこでもそうでしたが、必ずどんな小さな村でも「音楽が聴けて踊れるスペース」があります。まさにその場所がそのような所で、

ニット帽の男が「さっきのお詫びだ」とビールを差し出してくれ、友達だというこの「音楽が聴けて踊れるスペース」でDJをしているという若い男を席に呼びなぜか3人で飲むことに。

一通り自己紹介を終えると、そのDJの男が「まだフロアーに人がいないしブース見る?」と言って特別に案内してくれた先には・・・・かなり立派なまさかこんな村にこれほどの機材が揃っているとは!という充実ぶりで、

CDが主体で知っている曲もいくつかあり適当に選んで少し遊ばせてもらってから、席に戻りまた3人で飲みを再開。

号泣

nike159 / Pixabay

ニット帽の男はスコットランド人とタンザニア人のハーフで、スコットランド人のお母さんは離婚し母国に帰ってしまい、ということを打ち明けられ、さきほど言ったアイデンティティ的なことはハーフである自分が小さい頃に頻繁にそれが原因で嫌がらせをされてきたのに、

まさか自分がそれを行ってしまうとは・・・・なんて失礼なことを言ってしまったんだと再度謝られ、もういいよ、と。

DJの男も、オレはここのスタッフだけど基本的に夜の仕事だしこれからのことを考えると町に出るなり収入が良い仕事に付かないとなー

っとどこの国もDJのようなことをやる人間は人種が同じなんだな、と打ち解けあう。

しかしながら、彼らは僕が頼む食事やビールに対して一切僕には支払いをさせない。すべて二人のどちらかが支払う。

おいおい、やめてくれよ、と言うと二人は真顔で

「客人をもてなすのは当たり前だろう。何を言っているんだ?」

と言い、金額で言うと1000円もしなかったがそれでも失礼ながらタンザニアではやや使っているのでは?という金額。

そこで僕が調子に乗り二人にビールをおごろうとするとニット帽の男は真顔で

「ちょっとよく聞け。お前ら日本人には客人をもてなす習慣はないのか?オレは親の影響からキリスト教ではこう教えられてきた。この友人(DJ)はイスラム教徒だ。君も知っているとおりイスラムの人間は客人をもてなすのが当たり前だ。何が不思議なんだ?」

・・・いやでも、いくらなんでも見ず知らずの人間だぞ、こっちは。少しはおごらせろよ、と言うと続けざまに、

「わかった。お前の気持ちは嬉しいがそれはこれから会う人に行ってくれ。これから南アフリカまで行くんだろう?俺たちが知らない土地で俺たちが知らない人間に会い、俺たちが生きてる内には絶対にできないことや行くことのできない所にお前はこれから行くんだ。そこでお前が会った人たちに感謝され喜ばれることをすれば、日本に帰ってからでも良い、俺たちはそれが一番うれしいよ。」

と言い・・・・

もうねおごる・おごられるとか金額とかそんなことばっかり気にする自分の小ささに恥ずかしくなって大泣きしましたよ。ホント。

それを見てDJのヤツは笑いながらブースに戻っていくし、ニット帽の男は宿まで送ってくれて、まさか入国してすぐにこんな出来事が起こるなんて夢にも思いませんでしたよ。

「感謝という気持ちを他の人に渡していく。それはどの宗教だろうと同じ」

とまさかこんな当たり前のことをアフリカ大陸の辺境の村で教えられるとは。

ってな感じでした(^^;)

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次回は

次回は、

まさか36時間もバスに乗ることになるとは・・・・

といった内容になるかと思います。

ではでは~(^^)v

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