どもども~(^^)v
本日は「思い出し旅行2002」の日でございます。
前回の内容
前回は、
登頂できなかったアンディーの愚痴の聞き役に徹し、リロングウェに戻ってからの数日もアンディーと行動(ほとんど飲んでばっか)してましたが、僕は先に進むためにジンバブエの首都ハラレへ。モザンビークを経由するリロングウェからのバスの中に、なんとEちゃんが!Eちゃんもハラレに行くということなので、一緒に行動することに。
といった内容でしたかね(;^_^A
前回の内容はこちらで
アンディーと別れましたが、すぐに行動を共にする人が現われたのでまずは登場人物紹介から。
登場人物紹介
・僕・・・当時21歳。大学休学中(4年生)。月300時間というバイト生活6カ月を経て一旦アイルランドへ。3カ月間毎晩アイルランドで飲んだくれた後にエチオピアの国境の町からケニアの首都のナイロビまでの約1000kmの野生動物いっぱいの道なき道をヒッチハイクで駆け抜けたい!という理由だけでアフリカ大陸の縦断を決意し、
とても興味があったルワンダの虐殺記念館を訪れることができ、現在は世界三大瀑布のビクトリア・フォールズに向けて一人でアフリカ大陸をブラブラしてます。
・Eちゃん(女)・・・九州出身。当時26歳。看護師。バングラデシュのよくわからない村に1ケ月1人で生活していたという強者。アジア大陸横断済み。僕とはエジプトのアスワンからウガンダとルワンダの国境までの一ヵ月ほど共に行動していた。まさかのリロングウェ発ジンバブエ・ハラレ行きのバスでの再会(^^;)
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モザンビーク入国
トランジット・ビザ
マラウィからジンバブエに車など「飛ぶ物」以外で向かう時にはほぼ100%モザンビークを通過することになります。
たぶん今もあると思うのですが、この「通過」だけできるとても便利なビザがありましてね。通称でトランジット・ビザと呼ばれているモノで、数時間だけモザンビーク内の滞在が許可される、という内容で、
リロングウェでこのトランジット・ビザが取得できます。
僕もEちゃんももちろんこのトランジット・ビザを取得しているため、マラウィ・モザンビーク国境での入国審査はまったく問題なくすんなりと共に終了し、
いざ数時間だけですがモザンビークに入国・・・・(^^)v
車内では
国境越えのバスなせいなのかジンバブエに用事がないからなのか、そこそこ大きいバスに関わらず乗客が僕らを含めて7人くらいしかおらず、
「きっと後から増えるんだろうな~」
と思っていましたが、結局ハラレまで増えず、「もしかして赤字路線・・・?」なんてことを思ってました 笑。
車内では久々の対面のEちゃんとお互いどこをどう通ってここまできたか?という、
まさに「バックパッカーあるある」を話してた気がします。
ちなみにEちゃんは僕と別れた後はKさんとNさんの3人で行動していたはずですが・・・・と聞くと、
- マウンテンゴリラを見た後にKさんと別れNさんと2人行動に
- 2人でケニアに戻り(!)、ナイロビからタンザニア・アルーシャ~ダルエスサラームと移動
- ザンジバルには行った
- ダルエスサラームから電車でマラウィとの国境の町・ムベヤへ
- ムベヤでNさんは(念願の)モザンビークへ
- ムベヤからは一人行動
という感じで動いてきた、と説明してくれました。
そう言えばブラジル国籍の日系人のNさんはルワンダとブラジルが(悪い意味ではなく)国交がなかったからビザが取れないって言ってましたよね~
とか、
モザンビークはポルトガル語が通じるからすごく楽しみ~とかNさんは言ってましたね~
や
Kさんは結局二回マウンテンゴリラを見にツアーに入った!
などなど、乗客がまったくいない異国のバスの中で日本語だけが盛り上がってました(-_-;)
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ポルトガル語のモザンビーク
アフリカ諸国の主な公用語というと、ほとんどの人は英語かフランス語、もしくはアラビア語を思い浮かべるかと思いますが、
モザンビークはポルトガル領だった時期があったため今でも公用語の1つがポルトガル語です。
アフリカ諸国のほとんどの国は英語かフランス語というイメージを強く持っていたせいか、僕はなんでか理由はありませんが。モザンビークでポルトガル語が飛び交うのを目の当たりにした時はすごくビックリしました。ちなみに僕はまったくポルトガル語は理解できません 笑。
バスが泊まると、色んな商品を載せた台を頭に乗せ営業してくる「アフリカスタイル」はここでも同じでしたが、言葉がいままでと違い、
例えば、いままでは
「そのゆでタマゴ1つちょうだい~」
が
「Egg」
だけでほぼ通じたのが、
Eggに該当するポルトガル語がわからない事態に陥りまして・・・・orz
うぉーどうしよ~とか焦りつつも、こういう時は「母国語=日本語」が一番通じるという定説があるので、
「あーそれ、それちょーだい。いくら?」
とか言いお礼に唯一知っていたポルトガル語、「オブリガード!」ととりあえず言っておきました 笑。
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ジンバブエ入国
入国ビザの突然の復活
たったの数時間のモザンビーク通過でテンションが上がったところで、モザンビーク出国&ジンバブエ入国で一気に冷めます。
ジンバブエの入国審査の際に、いきなり「日本人の入国ビザ料金は30アメリカドルです」と請求されましてね・・・(゜-゜)ハァ
30アメリカドル、というと1日1000円も必要のない生活をずっとしている側としてはけっこうな料金でしてね~
そんなん聞いたことないんですが?????払わないよ
とかなり強気で言ったのを覚えてますねぇー
というのも、意外に多いんですよね~国境でのお小遣い稼ぎ。国によってはねぇ~国家公務員になってお小遣い稼ぎしたい!という理由で国境警備や入国審査官が若者に人気の国もありますからねぇ(実話です)。
僕もEちゃんも、というかEちゃんの方が経験値が高かったですが「この手の小遣い稼ぎ」は経験してきたので、
もうね、口喧嘩ですよ 笑。なぜか経験値の高いEちゃんではなく僕が(^^;)
ヒートアップして「てめぇこの野郎!!!」くらい言ってましたね、机を挟んで対応してたジンバブエの女性に(^^;)
その女性からは、
- 3日前からいきなり政府から通達があった
- 現場はそれによって混乱を極めている
- 日本人は30ドルだけど米・英国人はもっと高い(確か100ドルを超えてた)
- ビザが復活した初日に日本人が来たけど同じように激高していた
- 私だってなんで見ず知らずの人間にキレられないといけないんだってキレてた
ってな感じでして・・・・えぇハッキリ覚えてますわ(^^;) そして領収書リストを見せてもらいましたし国籍毎のビザ代金表も・・・それでも僕は
「てめぇこれ、詐欺るためにわざわざ作ったんだろ!」
くらい言ってましたが、横からEちゃんが
・・・・・「これってマジっぽくない???」 と。
まぁそうだよな~ボラれてるにしてもどっちにしたって支払ないと先には進めないしなーと冷静になり、30ドルを支払い無事に入国。
今思い返すと仮にEちゃんがいなかったら、あのまま暴言吐きまくり&キレまくりの状態を続けていてきっと牢屋行きだっただろうな、と(^^;)
ホテル・ジャカランダ
そして、首都のハラレに入ると今もたぶんそうなんじゃないかな~世界のどこにでもある「Holiday Inn」の前にバスは止まりましてねー。ハラレのHoliday Inn前は何かと待ち合わせ場所なんですよねー
しかしながら到着時刻がいつものように遅れており、やや辺りは暗くなってきて目的の宿まで歩いて10分くらいでしたが、やはりやや雰囲気が悪くなってきており早歩き&ドキドキしながら、
何事もなく目的の宿に到着。
が、
空きのベッドが1つしか無く・・・・
今から宿探しかよ・・・・・散々国境でやりあってきてそんな気力もないし、何より治安の面を考えたら荷物を持って歩きたくないんだけど・・・・
と、数秒間途方に暮れていたら宿の人が真横の宿は空いてるという事を教えてくれ、僕がそちらに泊まることに(^^;)
隣の宿名は「ジャカランダ」です(^^)
次回は
次回は
ジャカランダって何?、ジンバブエはハイパーインフレ(お札がゴミのようだ!)
といった内容になるかと思います。
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ではでは~(^^)v