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思い出し旅行2002 ~アフリカ大陸縦断 南アフリカ編 その5~

どもども~(^^)v

本日は「思い出し旅行2002」の日でございます。

この記事を書いた人

巨大NGOの下部組織(ブラック)で事務職という名の雑用の後に、なんとなく一人で仕事をしてみようと2008年後半から知識や資金などなど、重要なモノがほぼ0の状態から園芸を生業にした元バックパッカーです。2010年から度々NHK Eテレの趣味の園芸に出演させて頂いています。

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前回の内容

前回は、

Kさん、Sくんと3人でテーブルマウンテンや当時のアフリカ大陸随一のショッピングモールを楽しんだりとケープタウンを満喫。Sくんとはケープタウンで別れ、Kさんと僕はブルームフォンテーンへ。

といった内容でしたかね(;^_^A

前回の内容はこちらで↓

思い出し旅行2002 ~アフリカ大陸縦断 南アフリカ編 その4~

登場人物

・Kさん(男)・・・関西出身。当時26歳。知り合った時点で96ケ国制覇。見た目は元サッカー日本代表の岡田監督。アジア大陸横断、アメリカ大陸縦断経験者。南ア・ケープタウンにてウガンダとルワンダの国境以来の再開。タンザニアで暴漢に襲撃され頭部を負傷。

・Sくん(男)・・・関東出身。当時22歳。大学生。初の海外旅行がケニアから、という強者。しかも海外旅行するに至った経緯が就職活動が上手く行かず、新卒採用を再び狙い計画的に留年するために長期旅行でも、という理由。僕とはジンバブエで知り合い南アで再会。

Sくんとはケープタウンでお別れ。

南アフリカ共和国、通称南アフリカは、アフリカ大陸最南端に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。東にスワジランド、モザンビーク、北にジンバブエ、ボツワナ、西にナミビアと国境を接し、レソトを四方から囲んでいる。 ウィキペディア
国番号+27
通貨ランド
人口5496万 (2015年) 世界銀行
公用語英語、 アフリカーンス語、 ズールー語、 コサ語、 ソト語、 ツワナ語、 北ソト語、 ヴェンダ語、 ツォンガ語、 スワジ語、 南ンデベレ語

夜行バスでブルームフォンテーンへ

フリー素材でブルームフォンテーンを検索したらこんなどこともわからない画像が出てきた・・・

「オレもプレトリアから帰るチケットにすれば良かった~」

と言うS君とケープタウンで別れ、Kさんと僕は夜行バスでブルームフォンテーンへ。

南アフリカは行政・立法・司法の3権で首都を3つに分けているという珍しい国で(対外的には行政区のあるプレトリアですが)、

首都から首都への移動ってのもなんか変な感じですね~

なんてのんきなことを話しながらもケープ発の夜行バスへ乗車。ここから8時間の移動だったんですが、

アフリカ旅行の最後の最後に来て、

夜行バスが快適すぎて・・・爆笑

  • 道路に穴があってバスがハマって跳ねたり
  • 頻繁にバスが跳ねるせいでアゴや歯茎が痛くなったり
  • バスの中にヤギとかニワトリとか積載してないし
  • 車内が家畜臭くないし
  • 冷暖房が完備されてるし
  • ブランケットもあるし・・・・

などなど・・・なんか欧州とかトルコを旅行してる気分でしたね。

でもそれと同時にKさんと二人で話したのが、

オレ達・・・・アフリカ旅行の最初が南アフリカじゃなくて良かったよな・・・・

いくらアフリカと言えども移動するのに最初がこんなに良いレベルだったらタンザニアや、特にエチオピアの悪路には絶対に耐えられなかったよな・・・

えぇぇ・・・確かに・・・ですよね・・・思えばエジプトはともかくアフリカを移動する話は尽きないですわね~

  • スーダンでは50℃近い車内の電車に3日間
  • 30kmの道のりをロバよりも遅いスピードで山道を8時間かけて移動したエチオピア
  • ソルジャーと難民と牛使いと丸2日間トラックの荷台で一緒だったケニア
  • 何に載ってもギュウギュウ詰めだったウガンダ
  • ルワンダではコンゴ民主共和国に行く少年兵たちと一緒
  • タンザニア・・・32時間?でしたっけ?バス車内にいたの?
  • マラウィはまさかの48時間のバス移動
  • ジンバブエは余裕!
  • ザンビアも余裕!
  • ヒッチハイクで600kmを移動したボツワナ
  • ナミビアと南アも余裕!

と約4ヶ月かぁ~・・・と思った2002年の12月中旬。

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ブルームフォンテーン

翌朝ブルームフォンテーン到着。

第一印象は、

「ケープと比べると・・・なんか田舎?だな~」

というもので、事前にブルームフォンテーンについて情報を得ていたもののけっこう普通の町というか、

ケープタウンではそれほど思わなかったもののなんとなく町の雰囲気が良くなくて、

治安が良くない南アフリカの本当の雰囲気ってこっちなんじゃないか?

と数日の滞在ですがここではちょっと気合を入れないとな、と。

数日と言っても僕らの予定ではレソト王国に行くための経由地だったので訪れただけだったので、最低限気を付ければ問題ないかなとは思ってましたが。

と、言うもののブルームフォンテーンは宿代がそれほど高くなかったので、いつもより少し多めに出して宿はこのアフリカ旅行の中では一番豪華で部屋に泊まることに。

なんと部屋にテレビとシャワーがあって、もうね二人で大盛り上がりでしたよ 笑。

レソト王国へ

レソト?

あーあーレソトね~知ってる知ってる!チョーヤバイよね~

なんてことを言える日本人はおそらく全人口でも1000人もいないかと思いますので、まずはレソト王国について。

レソト王国について

レソト
南部アフリカの国
レソト王国、通称レソトは、アフリカ南部に位置する立憲君主制をとる国家。イギリス連邦加盟国のひとつで、周囲を南アフリカ共和国に囲まれた世界最南の内陸国でもある。首都はマセルで、1966年にイギリスから独立した。非同盟中立を宣言している。 ウィキペディア
通貨: ロチ
人口: 213.5万 (2015年) 
公用語: 英語、 ソト語

この地図を見てもらえればおわかりのように、南アフリカの中にあります。

国の中に国がある

という島国の僕らにはちょっと違和感がありますよね(^^;) 

ブルームフォンテーンからは乗り合いバスで4時間か6時間くらいかかったような気がします。

レソトの様子

それでレソトは周囲を1000m以上の山に囲まれた国で、首都のマセルは1400mくらいの位置にあったんじゃないかな?!

そのため春真っ盛りの12月は天候が不安定な時もありちょうど僕らが行った時には

レソトで雹に降られました

このような感じで、雹に降られました。

ブルームフォンテーンから戻ってくるときにはけっこう寒かったですね。レソトでは何かしに行った、訳ではなく

「今後の人生でかなり可能性の低い何かのきっかけがないと絶対に訪れることがないから」

という理由でした(^^;)

ブルームフォンテーンに戻った時には暗くなり始め町の雰囲気も悪くなり始め、超早足で宿まで戻りましたね~しかも寒かったし。そして宿に戻り部屋にシャワーがありしっかり温水も出るし暖房も付くしで、いい部屋で良かった~とまた安堵(^^;)

次回は

で、次回ですが、

ついに到着・・・・当時世界で一番治安が悪いと言われたヨハネスブルク、プレトリアでの日々

といった感じになるかと思います。

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ではでは~(^^)v

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