(元)バックパッカーな園芸家・伊藤章太郎がとりあえず植物のことを中心に、それと昔の旅行記のこととか綴ってます。

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思い出し旅行2002

思い出し旅行2002 ~アフリカ大陸縦断 ルワンダ編 その1~

投稿日:

どもども~(^^)v

本日は「思い出し旅行2002」の日でございます。

前回は、

ウガンダの首都・カンパラで今後の旅程について4人で話し合い、旅程が違ってきたためそれならこの辺で別れますか、ということでウガンダから先は別行動に、ということで話はまとまり、ルワンダとの国境に近い町で久々の一人行動になりました

といった内容でしたかね(;^_^A

一応前回の内容はこちら→ ウガンダ編 その2

それでルワンダからは1人になりましたので、登場人物は基本的に当面は僕だけになります。

1人になりましたので、やや内容も変えました(^^;)

登場人物紹介

・僕・・・当時21歳。大学休学中(4年生)。月300時間というバイト生活6カ月を経て一旦アイルランドへ。3カ月アイルランドで飲んだくれた後にエチオピアの国境の町からケニアの首都のナイロビまでの約1000kmの野生動物いっぱいの道なき道をヒッチハイクで駆け抜けたい!という理由だけでアフリカ大陸の縦断を決意し、

とても興味があった世界三大瀑布のビクトリア・フォールズ、ルワンダの虐殺記念館に向けて一人でアフリカ大陸をブラブラしてます。

 

ルワンダ共和国、通称ルワンダは、中部アフリカに位置する共和制国家。内陸国であり、西にコンゴ民主共和国、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジと国境を接する。首都はキガリで、イギリス連邦加盟国でもある。 アフリカで最も人口密度が高い国である。 ウィキペディア
人口1178万 (2013年)
世界銀行通貨ルワンダ・フラン
国内総生産75.21億アメリカ合衆国ドル (2013年)
世界銀行公用語ルワンダ語、 英語、 フランス語

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ルワンダ入国

国境の町のキソロという町へは陽が登り出したもののまだ薄暗い時間に到着しまして、なんというか両側が山で渓谷?というのでしょうか、谷にある一本道に関所があります!みたいな感じだなぁ~と思ったのを覚えてます。

ちなみにまだ国境が閉まっていたので開かれるまで付近をブラ~っとしようかなぁ~っと思っていたらいきなり国境が開きました(イメージは関所の扉が開く感じ)。運が良い(^^)

そのまま入国審査を行うっぽい建物がある方に向かって歩き、ウガンダを出国。そしてそのまままた数百mほど歩いてルワンダ側の入国審査を受けに。

この時になぜかいるはずのないバイクに乗ったりロバに乗ったり手押し車を持った「一般市民」が数人・・・・彼らは旅行者がこの数百mの移動の際の荷物を持ったり人を乗せたりしてお小遣いをもらおうと狙っている人たちで・・・というか一応この場所って一般市民は入れない場所なんだけど(-_-;)。

とまぁイロイロと笑えてきたので手押し車の人に

どれくらいの重さまで運んでくれるんかな?

と疑問に思ったのでテント付きの約25kgのバックパックとたぶん60kgくらいだった自分を乗せてくれ、と言い(半分嫌がらせですが)乗せてもらいました(^^;) むっちゃヒイヒイ言いながら僕を運んでくれたので少し多めに料金を支払いルワンダ側の入国審査へ。ナイロビで取ったビザを見せイエローカードも見せて余裕で入国スタンプをゲット。

そしてこんな感じの回想がありました(^^;)

ふと気が付いたのは、いままでの国境越えは乗ってきたバスや電車でそのまま国境を越えて入国しても同じ乗り物で新しい国に入っていったけど、

歩きで国境を越えて国境を越えてから乗り物が違うのってイスラエル以来だなぁ~2回目かぁ~としみじみ(^▽^;) 

すべてのチェックを終わり、イミグレーションを出るとピックアップトラックがありルワンダの首都のキガリ行きに乗車。一路キガリへ。

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「アフリカのスイス」

スイス感はありませんがこんな感じで緑の多い印象のルワンダ(^^)

ルワンダは「アフリカのスイス」と呼ばれているせいか、国境の渓谷もそうですが、とにかく山が多いんです。景色が良いです。移動する時の風景も一見の価値あり、と海外のガイドブックには書かれているほどです。

また国土の平均標高が約1500mですが、赤道に近くともあまり暑くなく、かと言って所々3000mを越えるエチオピアのように寒くもなく、夜も肌寒い程度です。

キガリに着いてすぐにキゴンゴロへ

国境からキガリまでは確か3時間くらいだったかな~。お昼前くらいにキガリのバスターミナルに着きまして・・・ウガンダに引き続き人の多い事(-_-;)

とりあえず何か飲んで、軽く食べ、そして宿でも探そうかな~と思っていると偶然にも「Butare(ブタレ)」という行き先を掲げた「日本式のマイクロバス」を発見・・・・!

でもその「日本式のマイクロバス」は改造され日本式の定員の倍くらいの人を乗せられるようになってまして・・・・まぁ発展途上国ではよくある話です。

ルワンダの人の多くは元々ベルギーの植民地だったせいか、フランス語を話す人が多く公用語になっていましてね~そのため色んな表記がフランス語なわけなんですよ(-_-;) 当時はまったく英語が通じず、まぁそんなのは慣れっこなんですが、

ブタレに行きたかったのは虐殺記念館のあるキゴンゴロという町へ行くつもりで、バスを待っていましたら

20人くらいの「明らかに僕よりも若い兵隊」オッサンみたいな隊長が1名

がやってきましてね(・・;) もちろん銃は装備してます。

内心、

「子供兵だ・・・・」

と思いつつもまぁ志願兵の可能性もあるので、あまり深くは考えずに見てないフリをしていたらオッサン隊長に声を掛けられまして・・・・

「どこの国の人間か?」(またこの質問か・・・・)

「ルワンダは良い所か?」(いやまだ着いたばかりですし・・・・)

などなど

子供兵の前では隊長ですが、なんか僕にはとてもフレンドリーに接してくださいましてね(^^;)

「これからどこに?」

と尋ねられたので

「キゴンゴロに行きたいんだけど、フランス語がわからなくてちょっとたいへんなんだよね」

というと、車掌を呼びつけすごい勢いでいろいろまくし立て、その後ニッコリしながら

「あいつに君の要望はすべて伝えておいたから心配することなくキゴンゴロに向かってくれ!」

と・・・・えーもしかしてオッサン隊長ってすごいお人?腕章がたくさんあるし( ̄▽ ̄;)

 

とバスが出るまでオッサン隊長と少し話していたのですが、2002年の夏頃までルワンダは隣国のコンゴ民主共和国(旧ザイール)と紛争を国境で行っていまして、

内戦の終結の協定が結ばれたニュースを僕はアイルランドで見て知っていたのですが、オッサン隊長と子供兵たちはこれからキガリからコンゴ民主の国境へ軍事キャンプの片づけに行くようで、しかもそのキャンプというのが日本の自衛隊も行っていたあのゴマ・キャンプでして・・・・

その他にはやはり虐殺のこと。紛争のおかげで自分にもこの子達(部下)にも青春がなかったしや学校にしっかり通うことができなかった、

などなど

サラッとオッサンは言いましたが、けっこう内容がドス黒いなぁ~と、ハハハ(-_-;)

そんなわけでボッコボッコの道を突き進むこと3時間、キゴンゴロまでは乗り換えがありましたがオッサン隊長のおかげで無事に到着しました( ̄▽ ̄;)

次回は

次回は

虐殺記念館といざタンザニアへ

という内容になります~

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ではでは~(^^)v

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ショウタロウ

巨大NGOの下部組織で事務職という名の雑用をこなした後に、まったくの未知の業種だった園芸を知識、経験、そして資金もほぼ0の状態から始めた元バックパッカーです。

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