どもども~(^^)v
本日は「思い出し旅行2002」の日でございます。
前回は、
久々の1人旅行の再開がルワンダでしたが、とりあえず首都のキガリに行こうということで国境からさほど距離がなかったためかけっこう早い時間に着いてしまい、それなら目的地まで行くか、ということで一気にキゴンゴロへ。キガリのバス・ターミナルでは少年兵を連れた隊長に手厚く迎えられ良くしてもらいました、
といった内容でしたかね(;^_^A
一応前回の内容はこちら→ ルワンダ編 その1
それでルワンダからは1人になりましたので、登場人物は基本的に当面は僕だけになります。
1人になりましたので、やや内容も変えました(^^;)
登場人物紹介
・僕・・・当時21歳。大学休学中(4年生)。月300時間というバイト生活6カ月を経て一旦アイルランドへ。3カ月間毎晩アイルランドで飲んだくれた後にエチオピアの国境の町からケニアの首都のナイロビまでの約1000kmの野生動物いっぱいの道なき道をヒッチハイクで駆け抜けたい!という理由だけでアフリカ大陸の縦断を決意し、
とても興味があった世界三大瀑布のビクトリア・フォールズ、ルワンダの虐殺記念館に向けて一人でアフリカ大陸をブラブラしてます。
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ギコンゴロという町
ギコンゴロという地名を耳にして「あ、ギコンゴロね~知ってるぅー!」という人はおそらく日本国内に200人もいない気がしますが、ギコンゴロは町です。かなり小規模な町です。何もありません。町っぽいところを15分も歩けばあとは集落、というくらい小さいです。
そして当時は「外国人」が珍しいせいか、町を歩いていると子どもだろうとオッサンだろうと外国人はとにかくイジられました。ヤジられました。差別用語を投げかけられました。
差別的な言葉はまぁ慣れているので鬱陶しいですが無視しておけばよいのですが、とにかく町中の男から罵声っぽいのを浴びせられたのでやや恐怖を感じました。珍しく(◎_◎;)
ルワンダはあまり人種的な差別はなくイヤな印象を持っていない国なんですが、ここだけは多かったなぁ~という記憶があります。いまはどうかわかりませんが(^^;)
またこの町は当時は宿が3件ほどしかなく、3件ともにセキュリティがしっかりしているいわゆる「安宿」よりもややグレードの高い宿で、僕はやや奮発してこのややグレードの高い宿に泊まっていたので用事以外は宿からは出ませんでした(^^;)
まだいまあるのかな~朝食も付いて夕食も宿で食べられましたし、僕が泊まったホテルの従業員の人はみなすごく紳士的で雰囲気は良く大満足だったのであの空気感はまだ覚えてます。1泊しかしてませんが(^^;)
・・・・試しにギコンゴロのホテルをいま検索したらまったくヒットせず、Google Mapでは2件で、ホテルサイト?で検索してみたら1件しかありませんでした(笑)減ってるし! 検索したホテルサイトはこちら→agoda.com ただ見てるだけでも意外と良いヒマ潰しができます 笑。
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虐殺記念館
ルワンダというと、ほとんどの人が「虐殺」という言葉がセットになっているのではないでしょうか。94年に起こったルワンダ虐殺と呼ばれてますね。
それでルワンダには虐殺という悲惨な出来事を伝える目的で博物館的な建物が首都のキガリとギコンゴロにあります。僕はギコンゴロのムランビ虐殺記念館に行きました。
ギコンゴロの方に行ったのは、いろいろと現実的で非日常的な事を感じられるから、という理由でその話は後程。
上の画像は博物館の区域内にある施設ですが、もともとは学校だった場所です。ここへ何万人が逃げ込みその何万人がここで虐殺されてます。
施設に入る時にガイドはいる?と言われたのですが、僕より少し先に外国人が一人到着していてUN(国際連合)と書かれている車からなにやらカメラをいくつか持って出てきていて、その人がガイドを付けていたので何食わぬ顔でそのカメラを持った人の後に付いて回りました(^^;) セコいですがorz
そのカメラマンはイタリア人でドキュメンタリーを作成するための写真が必要で来た、みたいなことを言われていてUNからの発注かあ~なんて思いながら、ちょいちょいちょっかいを掛けてました^^;
さてリアルな話ですが、上の画像に写ってる施設内には何があるかと言いますと空の部屋もありますが、ほとんどが
ミイラ
です。このネット社会では見つからないものは何もないんじゃないかと思いますが、僕が当時見たものとまったく同じものが簡単に検索できましたので過激画像が平気な方で建物内部にあるものに対して興味があるかたはこちらをごらんください→ 虐殺記念館内部
ミイラが白くなっているのは防腐剤という説明をガイドさんから受けました。ちなみにガイドさんの頭にも鈍器で殴られたのか少し穴が開いていてそこはあえて尋ねませんでしたが(-_-;)
僕がここに来る前年までは防腐剤もかかってなく、ただ死体がならんでいただけの様子というなかなかの地獄絵図だったようでそれこそ悪臭がとんでもなかった、という話をたくさん聞いてましたが防腐剤のおかげかそれほど臭いはしませんでしたがやはり何か臭いはしました。
他には被害者が着ていた血だらけの服を何枚も置いてある部屋や部屋が骨や頭蓋骨でいっぱいなど、まぁこれほど「作った感」や「見せやすく整えました感」のない「そのまま」の状態の施設はないであろうな、と。
施設入口の脇にあるたぶん共同の火葬場か埋葬地だと思いますが、なぜかこの十字架の中のアルファベットの文字の意味が知りたくて撮ったのですが、僕はフランス語だと思い込んでまして大陸を縦断した後にアイルランドでルームシェアしてたスイス人の友達に会う約束をしていたので、彼に見せれば意味はわかるだろうと思っていましたが・・・
しかしながら彼曰く、「これはフランス語でもドイツ語でもないから現地語をアルファベットにしたんだと思う」と言われてしまい・・・
結局いまだにこの文字の意味がわかりません(-_-;)
この虐殺記念館を検索してみると多からず少なからず日本から訪れた人がいて、画像を見てみると歩道ができていたりして歩きやすく整備されていたりして、それなりの格好になっていました。
やや小高い丘にあるので景色が良く、僕が行った時は小雨が降ってましたが町からバイタクに乗って15分の道のりの眺めも最高で、その後まさか何百ものミイラを見ることになるなんて思いもよりませんでした。たぶん地球上で現存している一番エグい部類に入る博物館だと思います(+_+)
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いざタンザニアへ
ギコンゴロを後にし首都・キガリで一泊しようと予定してました。宿探しをする前に次に訪れる国・タンザニアの国境まではどうやって行くかを調べておこう!、ということでキガリのバス・ステーションに着いてから色々と探してみると運良く
「国境行きのピックアップトラック」
を発見でき・・・以前も説明しましたピックアップトラックのシステムですが、
定員になると出発する時刻表のないバスと呼ばれています。でもバスではなくたいていはハイエースなどを改造した車です。逆に定員が埋まらないといつまで経っても出発しません(-_-;)
アフリカ大陸を旅行するにはバイブル的なガイドブック、
「Lonely Planet Africa」によるとキガリから国境までは60kmとあるので、なんだすぐ着くじゃん!と思いキガリ滞在をスルーしピックアップに乗り込みまして・・・。60kmなので時間がかかっても2時間だろう、と思っていましたが・・・たしか10時くらいに出発したので昼くらいは国境かな~と思っていたんですよね~
しかし、13時を過ぎ・・・・
14時を過ぎ・・・・
まだ着かないの!?とやや内心焦り始め・・・
国境までの道中、
野生のカンムリヅルを30cmくらいの距離で見られたりと、ラッキーなこともありましたが、いよいよ16時を回り・・・いったいどこに連れていかれているのか不安になり車掌に「まだか?」と聞いて「大丈夫」としか言わず・・・・
と思ったら17時前に突然停車し
「この坂を上っていけば、看板にも書いてあるけど国境だから!」
と言われ降ろされ急な坂をゼーゼー言いながら上り豪快な滝の脇にありました、国境が 笑。
次回は
そういうわけで次回は、
タンザニア入国!アフリカに来たということを実感!
という内容になります。
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ではでは~(^^)v