(元)バックパッカーな園芸家・伊藤章太郎が植物のことを中心に綴ってます。

ショウタロウブログ

思い出し旅行2002 ~アフリカ大陸縦断 エジプト編 その10~

2016年7月12日

 

どもども~(^^)v

今回でエジプト編が「その10」になりましたが、区切りも良いので今回でエジプト編は終わらせます。

前回は砂漠探索からルクソールに戻り、アリに少し文句を言い運ちゃんと別れその後の数日はアリの宿で少しゆっくりし、その間は他国の旅行者とアリやアリの友達と飲みに行ったりとあまり中身のない生活をしてました。その後アスワン・ハイダムアブ・シンベル宮殿の観光に行くための拠点となるアスワンに向かいました。

という話でしたかね(^^) 一応前回の内容はこちら→ エジプト編 その9

では今日は↓の画像の湖の傍に立ってるピンの位置にあるアブ・シンベル宮殿とかの話です。スーダンまですぐそばです笑
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前回も書きましたが、2002年当時はアスワンからアブ・シンベル宮殿まではゲリアを掃討できていなかったためエジプト軍の護衛付きでの

いわゆる「条件付き」で陸路で神殿まで行けたのですが、

出発がたしか朝の3:00だったかな~ゲリラがあまり活動しない時間と暑さを避けるという理由を事前に言われました。当日は寝不足でフラフラのまま言われるがままにバスに乗り、いつも通りすぐに落ち気が付いたら目的地に着いていた、くらいしか覚えておらず・・・(;^_^A 5時間くらいかかったんじゃないかな、たしか。


とまぁ気が付いたらこんなモノがあるすぐそばに着いていたのですが(;^_^A

 

アブ・シンベル宮殿自体の説明はWikipediaなどを読んでもらえばわかると思いますが、

ダムを作るにあたって湖の底に沈むことになるのをユネスコが支援して、一旦この遺跡を「コマ状に切り刻んで高台にそのまま移設」させた、ということで一気に有名になった移籍です。

画像では人が入口にたくさん人が集まっていて良く見えませんが、ある時期になると太陽の光が小さい入口から差し込み、中にある台座的なもの(だったかな?!)を照らすように設計されていたようで、そのため「上にずらすように移設」させる必要があった、と現地で説明を受けた覚えがありますが、記憶が定かでないので気になる方はググッてください笑

構造物から醸し出される圧倒的な存在感と神殿のすぐ目の前にあるナイル川と砂漠の壮大な景色の対比がなんとも言えず・・けっこう感動しましたね。それとブツ切りにしたあとがほとんどわからないようにしてあるのにもビックリしましたが。

アブ・シンベル宮殿はよく「死ぬまでに一度は訪れておきたい場所」のようなモノに取り上げられる理由が理解できます(^^)

かくいう僕も今でも付き合いのあるバックパッカー友達のYくんから、「行けるなら必ず行ってきてくれ!」と念に念を押され、

彼がエジプトを訪れた1999年はアブ・シンベル宮殿はまだ飛行機でしか行けず、陸路で行けるようになったのは2002年からだったのでホントに運が良かったです(^_^)v

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アスワンでは各国の安宿を泊まり歩いた僕がTop5を選ぶなら必ず入れると自負している「Marwa Hotel(マルワホテル)」というところに泊まりました。リンクを貼りましたが、検索してみたらまだ存在しているようで、やはりいろいろな旅行者が推してますね(゚∀゚)

マルワホテルはなんというか、「安宿にはない清潔感」があったんですよね~布団も堅くなかったですし。

スタッフの距離感も絶妙で、困ってるなら助ける・必要以上に声をかけない・いつもにこやか、で居心地がホントに良かったです。

またアスワンはエジプトというイスラムの国ですがヌビア人と言って元々のこのあたりに住んでいる民族の方のほうが人口比率的に多く、どう違うかはあまり覚えてないので詳しくとは書けませんが町の雰囲気や人の服装などアラブの文化と若干違う町です。それもまたエジプトの違う顔として楽しかったです。

アスワンではアブ・シンベル宮殿以外どこにも行かずにルクソールと同じように特に何もせずにこれまた数日過ごし、その後スーダンに向いました。

ということで次回からスーダン編

と行きたいですが、マルワホテルでいろいろな人と会いその中でまさか自分以外にこれから南アフリカまで行く予定の人と会いまして・・・しかも

 

3人と!

 

(@_@;)

ということで次回は当分の間行動を共にすることになったお三方とガイドブックにあまり載らない地域を旅行することの難しさ、のようなことを書きます。

ではでは~(^^)v

今日のBGMはこちらでした→ عمرو دياب الليلة فيديو كليب.
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  • B!