どもども~(^^)v
本日は「思い出し旅行2002」の日でございます。
前回は、
アジスアベバを離れる際にホテルにパスポートを忘れたのを思い出し、一人で数時間行動することになりそれが意外にも楽しかった、
といった内容でしたかね(;^_^A
一応前回の内容はこちら→ エチオピア編 その7
登場人物
・Kさん(男)・・・関西出身。当時26歳。知り合った時点で96ケ国制覇。見た目は元サッカー日本代表の岡田監督。アジア大陸横断、アメリカ大陸縦断経験者。
・Eちゃん(女)・・・九州出身。当時26歳。看護師。バングラデシュのよくわからない村に1ケ月1人で生活していたという強者。アジア大陸横断済み。
・Nさん(女)・・・日系ブラジル人。当時50代。関東に出稼ぎに来てブラジル人男性と結婚し離婚。この旅行はブラジルに帰るために上海から陸路で南アフリカまで行って、そこから飛行機に乗って帰国するついで。日本語、英語、ポルトガル語、スペイン語が話せる。
・僕・・・当時21歳。大学休学中(4年生)。月300時間というバイト生活6カ月を経て一旦アイルランドへ。3カ月アイルランドで飲んだくれた後にエチオピアの国境の町からケニアの首都のナイロビまでの約1000kmの野生動物いっぱいの道なき道をヒッチハイクで駆け抜けたい!という理由だけでアフリカ大陸の縦断を決行中。
By Drawn by User:SKopp - http://www.ethiopar.net/type/Amharic/hopre/bills/1998/654.ae..pdf, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=343048エチオピア連邦民主共和国、通称エチオピアは、東アフリカに位置する連邦共和制国家である。東をソマリア、南をケニア、西を南スーダン、北西をスーダン、北をエリトリア、北東をジブチに囲まれた内陸国。隣国エリトリアは1991年にエチオピアから分離した国家である。首都はアディスアベバ。 ウィキペディア
通貨: ブル公用語: アムハラ語
政治体制: 連邦共和国、 議会制共和国
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ケニアとの国境までは中継&中継
中継地点のディラを早朝に出て次の国境地点のヤベロという町に向かったのですが、たぶん数百キロも離れてないと思う・・・でも当時はディラから直接そのまま国境の町に行くことができず、お昼過ぎにヤベロという町に着きました。
ここまでくると標高も低くなり(と言ってもwikiを見たら約1800mでしたが)、当時はまったく植物の事には詳しくなかったですがどうも背が高く赤道も近くなってきたせいかなんとなく南国っぽい雰囲気の植物がふえてきたなぁ~っと思いました。何が埋まっていたかなんてことは微塵も覚えてませんがorz
ヤベロ
引用元:http://mapio.net/s/68819639/
2002年当時のヤベロという町はホントに何もなくまさしく上の画像のような感じで、というか僕らが訪れた時はもっと何もなくて道の脇に植林もされてなく町全体が開けていて見渡せた印象が強いです。
明るい時間に着き、バス・ターミナルからは徒歩15分くらいと少し離れてましたが宿もすぐに手配でき「ひさびさに羽を伸ばすかー」と宿から近い所で明るい時間から4人で飲みに出かけまして・・・。
バス・ターミナルから宿までの道中に深さ2.5m、幅3mほどの干上がった川というのか大量に雨が降ったときに雨水を逃がす人工的に掘った「巨大な水路」というんでしょうか、それを3か所くらい渡りましてね。「巨大な水路」は完全い乾いていて道みたいになってましたが。それぞれの水路には道板が掛けてありましたが大人2人が並んでようやく歩ける、という幅しかなく深さが2.5mもあるのにもちろんガードレール的な安全設備的ななく、
「ショウタロウ、酔っぱらってここに落ちるなよ!」
とかKさんが冗談で言っていましたが、なんとなく嫌な予感がしたので「巨大な水路」を渡らないで良いように宿の傍で食事をして飲んでました。「巨大な水路」には野良犬やら飼い豚なのか飼いヤギなのか飼いロバなのかが歩いてましたし(^^;)
明日はまた早いから、ということで早々に切り上げ宿に。明日の早朝のバスの席取りは僕とKさんでやるからゆっくりEちゃんとNさんはゆっくり寝てな~みたいな話をして各自部屋に入りました。
そして次の日は朝4時に宿を出ましてね・・・・ただでさえ電気が乏しいエチオピア・・・・慣れていましたがもちろん日が昇るまでは外は真っ暗でした・・・。
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予感的中
Kさんと部屋を出て真っ暗の中歩いていたのですが、ふとした瞬間に
「あ!このまま真っすぐ歩くとなんかイヤな予感がする!」
と思いやや左に寄りそのまま歩きましたら、僕からするとやや右前を歩いていたKさんがいきなり
「視界から消えまして・・・・」
え・・・・(゜_゜) ←ホントこんな顔をしてたと思います
ホント何が起こったのかわからず、というか喋りながら落ちていったKさんの残像が今でも記憶の片隅に残ってますが不謹慎ながらむっちゃ面白く、もちろん怒られましたが半笑いでKさんに「大丈夫ッスか~?」と声を掛けしましまして・・・しかしながらこの時にようやく事の重大さを理解(-_-;)
発展途上国でケガをすると・・・
真っ暗で懐中電灯などもなく、たぶん「水路」に落ちたな、と判断したもののKさんの具合がわからずノーガードで20kgの荷物を背負ったまま落ちたわけなので骨折しているかも?と思い落ちたKさんに「歩けます?指は動きます?折れた感あります?」などと聞き、大丈夫。たぶん折れてない、と返答をもらい・・・そうこうしていると早朝にも関わらず地元民が手を貸してくれ柱を持ってきてくれKさんを救出してくれました・・・。
Kさんは見た目なんともなさそうでしたが、メガネがやや割れ額を少し切っており出血してました。やさしい地元民が手当をしてくれとりあえずなんとかなり、Kさんは歩けたのでバスに乗り込み少し休んでてもらいました。
僕的にはこの時ほど看護師のEちゃんが来るのを待ちどおしかったのは言うまでもありません(-_-;)
ほどなくしてEちゃん達がやってきて事情を説明したのですが、落ちたKさん含め僕らには不安になる点がいくつかありまして・・・ちゃんと検査ができるところまで次の地点のケニアの首都・ナイロビに行くのに最低でも一週間はかかる、というもので・・・・。
予備知識編の病気で書きましたが、破傷風や狂犬病など日本では根絶された病気が当たり前にあるのがこのあたりの地域でして、この時はとにかくKさんが破傷風になるんじゃないかと(-_-;) ちゃんとしてない施設で検査をするとB型肝炎などの血液系の病気がうつることもあり・・・各病気の症状はEちゃんがだいたいわかっていたので心強かったですが、それでもちゃんと検査をしないと安心できず・・・
一気に当分の間、不安になりました(-_-;)
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モヤレに到着
勝手に人様の画像を引っ張ってしまいましたが、この建物の宿にたしか泊まりました(^^)
そんなこんなで「エチオピアでもっとも電灯の数があり明るい町」と言われているケニアとの国境の町・モヤレに到着。もっとも明るい町と呼ばれる所以は電気はケニアからもらっているから、という説も(-_-;)
ここからナイロビまでは公共交通機関がないのでヒッチハイクをしないといけないのですが・・・・
続きは次回で(;^_^A
ではでは~(^^)v
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