(元)バックパッカーな園芸家・伊藤章太郎が植物のことを中心に綴ってます。

ショウタロウブログ

思い出し旅行1996 ~バックパッカーになる前の序章 その2~

2016年5月26日

さて先日より始めた「僕が行ったことのある所を思い出しながらウンタラかんたら」というネタであります。

先週は15歳・高校1年生の時の中華系のホームステイ先のお宅まででしたねぇ~果たして今回はそのお宅から出られるのか、ハハハ(^-^;

 

カナダでの1日の生活サイクルですが、朝~昼すぎまで授業(というか課外教室みたいな感じ?!)でこれが月~金の間、土日はステイ先で過すって流れでしたね。確か30日だったかな~滞在したの。

 

初めの1週間は何を見ても驚いてました。例えばバーガーショップのSサイズがやたらデカイ!とか車が左車線を走る、とか車などの左折は赤信号でも安全確認が出来てれば行ってOK、などなど細かい所までビックリしたのを覚えてますねぇ。

 

あと夏だったってこともあってか公園に行くとたくさん人がいましたね~みんなジョギングしてるか体を焼いてんの


欧州の比較的温暖な地域なんかもそうですが、街中にある公園でもトランクス一丁で体を焼いてますもんねぇ・・・・


あの光景は色々行った今は見てもなんとも思いませんが、当時はカルチャーショックを受けたなぁ・・・

 

「街中の公園に裸の人がおる

 

ってね

授業の内容とかそんなんは全然記憶になく、確かバンクーバーオリンピックの会場だった観光地のウィスラーにも行きましたが真夏ということもあって単なるお土産屋巡りでして・・・・ウィスラーはやたら蚊が多かった、くらいしか記憶にないなぁ・・・。

やっぱステイ先の印象が強いなぁ~

 

毎晩豪華絢爛な中華料理でして英語圏に行くと「食に困る」ということはこの時はまだ一切感じず、一度出された豚の角煮がすごくおいしくて、

 

「これおいしいね(^^)」

 

とホストマザーに伝えたら、

 

その後10日間連続で

 

 

出してもらえたりということがあったり、だいたいどこの家庭も日曜は協会に礼拝に行っていたのですが我がステイ先はあまり関係なく、日曜の朝はなぜか毎週おかゆを食べてましたね、ハハハ(^^)

 

 

そうそうステイ先には僕の4つ年下の男の子がいて彼と同じ部屋で寝泊まりしていたので、家では彼といつも一緒にいましたね。80年代の映画に出てきそうな典型的な七三分けのメガネをかけた背の小さい中華系アメリカ人少年、でした(゜_゜)

 

授業やその他の活動での記憶があまりないので、こんな感じのことしか今夜は書けないなぁ~

 

家ではその少年とゲームしてるか彼がバスケが好きだったのでNBAを見るかそれくらいしかしてなかったし、ご飯が中華系だったのであまり普段とそうも違う生活をしている実感がなかったですね、いま思うと(笑)

 

 

ん~結局今夜も家(ステイ先)から出られず

 

ちなみに翌年今度は一人でもう一度カナダに来てます。なので来週もまたカナダ編です(-_-;)

 

 

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