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思い出し旅行2002 ~アフリカ大陸縦断 タンザニア編 その2~

どもども~(^^)v

本日は「思い出し旅行2002」の日でございます。

この記事を書いた人

巨大NGOの下部組織(ブラック)で事務職という名の雑用の後に、なんとなく一人で仕事をしてみようと2008年後半から知識や資金などなど、重要なモノがほぼ0の状態から園芸を生業にした元バックパッカーです。2010年から度々NHK Eテレの趣味の園芸に出演させて頂いています。

もう少し詳しいプロフィールはこちら

前回の内容

前回は、

タンザニアに入国し乗り合いバスに乗ると背の低い木々が点在しているサバンナに1本の道。その道の奥には沈み行く太陽。ブラックアフリカに入り2カ月弱にして、初めて「アフリカに来た」という実感をしつつも、道中に絡まれた現地人に失礼なことを言われ気分を害される。お詫びに連れて行かれた飲み屋でけっこういい設備の揃ったDJブースとそこでDJをしている若者と飲むことに。2人から宗教や国籍を越えた「人として行うこと」のようなありがたい話に号泣してしまった、

といった内容でしたかね(;^_^A

前回の内容はこちらです↓

それでルワンダからは1人になりましたので、登場人物は基本的に当面は僕だけになります。

1人になりましたので、やや内容も変えました(^^;)

登場人物紹介

・僕・・・当時21歳。大学休学中(4年生)。月300時間というバイト生活6カ月を経て一旦アイルランドへ。3カ月間毎晩アイルランドで飲んだくれた後にエチオピアの国境の町からケニアの首都のナイロビまでの約1000kmの野生動物いっぱいの道なき道をヒッチハイクで駆け抜けたい!という理由だけでアフリカ大陸の縦断を決意し、

とても興味があった世界三大瀑布のビクトリア・フォールズ、ルワンダの虐殺記念館に向けて一人でアフリカ大陸をブラブラしてます。

タンザニア連合共和国、通称タンザニアは、中央アフリカ東部の共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、ザンビア、マラウイ、モザンビークと国境を接し、タンガニーカ湖対岸にはコンゴ民主共和国があり、またインド洋に面する。 ウィキペディア
国番号+255
通貨タンザニア・シリング
人口4925万 (2013年)
公用語スワヒリ語、 英語

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正確には15時間移動+車中休憩6時間+10時間移動(ここまでが同じバス)+乗り換え2時間、の移動ですが(^^;)

早朝にニャカサンザを出て次の町へ

遠出のバスの出発時刻が陽が明けていない真っ暗な時間、というのはアフリカあるあるでもちろんこの土地でも同じでした。

基本的にノープランで思い立ったように予定を変更できるのが個人旅行というか時間だけはあるバックパッカーの旅行でして・・・この時も僕は次の目的地を決めておらず、

ヴィクトリア湖の傍の湖畔の町・ムワンザに行こうかキリマンジャロの麓の町・モシに行こうか決めてなく、とりあえずどこに行けるか聞こうかな、ということに。

小さな村のバス停なため、大きなバスはもちろんなくピックアップトラックがポツンとあるだけでその車の車掌に行き先などを伝えると、

「ここからじゃムワンザもアルーシャもそんな遠い所は無理だからここから少し離れた町から大型バスに乗り変えな!」

と心良く教えてくれ、4時間くらいそのピックアップトラックに乗り比較的に人が多く町っぽくなっている町へ到着(名称は忘れました orz)。

町中から浴びた差別用語

お昼頃にその町に着き、着いた場所が大型のバスや「〇〇行きはこちら!」と書いてある看板を掲げた掘っ建て小屋がいくつもありどうやら長距離バスがありそうな雰囲気のバスターミナルで、すぐにムワンザ方面やモシ方面の看板を出している掘っ建て小屋の窓口に行ったのですが・・・・

着いてすぐに始まりましたが、東洋人が珍しかったんでしょうねぇ~そのへんに座ってる現地人から罵声や差別用語の嵐。小屋でバスについて聞いてる最中にもからかう輩が何人もいて、終いには僕の問い合わせに対応していた人間も悪ノリしてきたので、同じノリで僕もそうとう汚い言葉で応戦し・・・・同レベルに落ちるのでホントはやってはいけないですが。

なんとか「ムワンザ行きは明日はなく、モシに行くならアルーシャ行きのバスに乗れ。明日の早朝に出発する便がある」という情報を得て、チケットを買いお腹が減ったので何か食べたかったですが、どこに行ってもやたら絡まれるためうっとしくなり・・・・

運よくバスターミナルのすぐそばに安宿があったのでそこに入り、身軽になってから食事に出かけたら宿を出た瞬間に始まる罵声や差別用語の嵐。無視しても疲れるほどだったので、この日はご飯を食べずっと宿に籠ることに。

エチオピアでもルワンダでもそうでしたが、このような差別的な出来事はアフリカの中途半端な町だとよくある、まさに「あるある話」なんでお気を付けください・・・

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モシまで相当距離あるよね・・・

まずは15時間

午前6時発のバスに乗り込み(イスにシートがなく木という、これまたアフリカのバス「あるある」)、僕は運転手のすぐ後ろ側の席を陣取り・・・・

他の40人くらい人のバスに満員+後ろの席に(きっと食べるようの)ニワトリが数羽・・・・あぁ人間以外も乗せてしまうアフリカのバス・あるある。

また、

「ここから海まで相当な時間あるよな~・・・」

と思ってはいけないことを思い・・・というのはチケットを買った時にアルーシャまで何時間かかる?と聞いたところ

12時間くらいかな~

と言われましてね。その時も思いましたが、絶対に12時間で移動できる距離ではないだろう・・・と。

延々と続く同じ景色・・・・前日に遅い時間の昼飯しか食べてなかったのですぐにお腹が減り・・・・空腹を紛らわすために寝てたまにある10分ほどの休憩の時にやってくる頭に荷物を抱えた行商の人たちが持ってくるタマゴや軽食でなんとか空腹を紛らわし・・・また寝て・・・・起きても同じ景色で・・・・

を何回も繰り返すと

次第に辺りは真っ暗になり・・・・15時間くらいバスに乗り続けていることに気が付きました。

続いて6時間

突然バスが完全に止まりバスが止まったのは明かりの付いている20人も入れば満員になるような1台のテレビがある小屋の前でした。

続々と乗客は入っていき、

状況を呑み込めない僕は1人の乗客に話を聞くと

数時間はここで休憩だ。ここから先は保護区に入るしなにより盗賊がいる地域になる。

盗賊がいる地域・・・・どこかで聞いたなぁ~エチオピアでは山賊だったかー(棒) あぁ笑えない・・・orz

極めつけは

バス周辺からあまり離れるなよ。離れると動物に喰われるぞ。

・・・・これはケニアで耳にした話・・・・・アフリカあるあるが満載orz

店員20名の小屋にバスの乗客40人全員は入れるわけはなく、早いもの勝ちで小屋の中で横になれる場所を確保した人、小屋の回りで寝る人とヒエラルキーに似たようなモノが作られていて、

僕は結局どこで寝るか決めきれずバスに戻り最底辺のランクのバス泊となり・・・・運転席の真後ろだっため足を伸ばせるスペース(上に)があったためまだマシでしたが・・・色んな所で寝ましたが、いままでこの場所が一番キツかった・・・・いきなりニワトリがバスの中で鳴くし糞をして臭いし(-_-;)

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続いて10時間移動

真っ暗の中、深夜3時に突然バスは出発し、

「この時間でも盗賊いるんじゃないの?」

と隣の席の人に聴くと

「盗賊がいる地区の近くを通るのは陽が出てからだ。あいつらのおかげでルートが頻繁に変わるんだ」

・・・またもやケニアとエチオピアで聞いたことをまたここでもorz

明るくなっても同じ景色が続き、行うことも昨日と同じ・・・・軽く食べウトウトし・・・・

を繰り返しお昼をすぎると明らかな町に到着。

ここまで約31時間の移動・・・ようやくアルーシャ到着・・・・。

でもモシへ乗り換えをしないといけないのですが、もうヘロヘロで今日はもうアルーシャに泊まろうかと思っていたら、

「日本人の方ですよね?わたし日本語話せます。ずっと声をかけようかと思っていたのですが、なんか恥ずかしくって」

とまさかの日本語が!

アルーシャよりも私の会社のあるモシの方がいい町ですよ、と流ちょうな日本語を話すタンザニア人はやたらにモシをオススメしてくるが、

いやいやオレも今からモシに行くんだけど(^^;)

と伝えると一気にテンションが上がりいろいろ話してくれました。

が、

乗り換える予定のバスの出発時刻はアルーシャに着いて30分もしない内で、チケットを見ると席が離れていて彼はバスの中で日本人と話せないことをすごく悔やんでおり、そのままモシ行きのバスに乗車。

2時間後

さらにヘロヘロなりモシに到着・・・・

確か夕方4時くらい。

泊まろうと思っていたキリマンジャロが見える「Coffee Tree Hotel」にこの日は宿泊・・・・

日本語ができるタンザニア人の話はまた次回・・・・。

 

次回は

次回は

キリマンジャロの麓の町でリラックス~いざダルエスサラームへ

のような内容になります。

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ではでは~(^^)v

 

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