PR 植物

思い出し旅行2002 ~アフリカ大陸縦断 エチオピア編 その6~

2016年10月26日

どもども~(^^)v

本日は「思い出し旅行2002」の日でございます。

今回からエチオピア編です。前回は、

ラリベラの宿についての事を忘れていたので血のりがあったり壮絶な様子から。またエチオピアの宿ではほぼ確実にダニや南京虫に喰われるので気を付けよう!洗剤で虫は退治できてもタマゴは残るので、熱湯処理で。ということで、首都のアジスアベバでは個室温泉で洗濯したら、たくさんの細かい塊状の虫の死骸が衣類から・・・それはそれは惨状でした。

といった内容でしたかね(;^_^A

一応前回の内容はこちら→ エチオピア編 その5

この記事を書いた人

巨大NGOの下部組織(ブラック)で事務職という名の雑用の後に、なんとなく一人で仕事をしてみようと2008年後半から知識や資金などなど、重要なモノがほぼ0の状態から園芸を生業にした元バックパッカーです。2010年から度々NHK Eテレの趣味の園芸に出演させて頂いています。

もう少し詳しいプロフィールはこちら

登場人物

・Kさん(男)・・・関西出身。当時26歳。知り合った時点で96ケ国制覇。見た目は元サッカー日本代表の岡田監督。アジア大陸横断、アメリカ大陸縦断経験者。

Eちゃん(女)・・・九州出身。当時26歳。看護師。バングラデシュのよくわからない村に1ケ月1人で生活していたという強者。アジア大陸横断済み。

Nさん(女)・・・日系ブラジル人。当時50代。関東に出稼ぎに来てブラジル人男性と結婚し離婚。この旅行はブラジルに帰るために上海から陸路で南アフリカまで行って、そこから飛行機に乗って帰国するついで。日本語、英語、ポルトガル語、スペイン語が話せる。

・僕・・・当時21歳。大学休学中(4年生)。月300時間というバイト生活6カ月を経て一旦アイルランドへ。3カ月アイルランドで飲んだくれた後にエチオピアの国境の町からケニアの首都のナイロビまでの約1000kmの野生動物いっぱいの道なき道をヒッチハイクで駆け抜けたい!という理由だけでアフリカ大陸の縦断を決行中。

エチオピアの国旗
By Drawn by User:SKopp - http://www.ethiopar.net/type/Amharic/hopre/bills/1998/654.ae..pdf, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=343048

エチオピア連邦民主共和国、通称エチオピアは、東アフリカに位置する連邦共和制国家である。東をソマリア、南をケニア、西を南スーダン、北西をスーダン、北をエリトリア、北東をジブチに囲まれた内陸国。隣国エリトリアは1991年にエチオピアから分離した国家である。首都はアディスアベバ。 ウィキペディア

 
人口9410万 (2013年) 世界銀行
通貨ブル
公用語アムハラ語
政治体制連邦共和国、 議会制共和国

スポンサードリンク 

首都なので都会でした

アジスアベバでは持っている衣類をすべて温泉に行き熱湯で洗い流したり、イタリアの植民地だったこともあったためカルボナーラやピザなど食べ慣れているものが食べたり、用はなかったですが在エチオピア日本大使館に行ってみたり、地元の闇市に行ったりと、

主に気分転換や体調回復に数日専念いたしましてね(^^;)僕はエチオピアの代表料理のインジェラは好きだったので相も変わらず首都でもインジェラばっかり食べてましたが(^^; インジェラの説明はこちら→インジェラ

 

1つの国の経済的豊かさの指標の1つとして挙げられるのが国内総生産(GDP)ですが、僕が訪れた2002年当時のエチオピアは世界で下から数えた方が早く、確か月の平均給与が8000円くらいだった気がします。

経済活動がなされてないから貧困か?と言われればそうではありませんが、実際に自給自足をしている人が圧倒的に多かったですし。

道がボッコボッコなため100kmの移動を8時間かかるなんてことや電気が十分に巡らされてないため街灯がなくどこに行っても夜が真っ暗なので蠟燭というか外出する際は「火」を持って外に出たりとインフラ設備がまったく整ってなく、

街灯は多少ありましたがアジスアベバの夜も暗く、暗くなったら寝る、という生活でした。治安は悪そうではありませんでしたが、わざわざ犯罪に巻き込まれそうな暗い所に行かなくても良いですからね(;^_^A

しかしながら首都ではあるので、あまり不自由は感じずに過ごすことはできました。

エチオピアにルーツがあるもの

コーヒー

毎日朝食を食べに行っていた食堂でおもてなしを受けました(^^)

旅行記に園芸の話をしますが、世界中で飲まれている「コーヒー」の9割以上は実は2種類のコーヒーの木から採れていまして一番愛飲されているのは「アラビカ種」というものです。この「アラビカ種」は今や世界中の温暖な地域で栽培されていますが、元々はエチオピアで自生してたモノでエチオピアからコーヒーの文化はエチオピアから広まった、とも言われるほどだったりします。

「コーヒー」はエチオピア人にとって日本人で言うところの「お茶」に該当するモノで、普段から口にするものでもあり来客をもてなすためのものでもあります。

上の写真はアジスアベバに滞在している時に毎日通っていてお互い顔を覚えたくらいの3日目くらいで食堂で「おもてなし」を受けたのですが、通称「コーヒー・セレモニー」と言うものです。豆を炒る所から始め砕いてドリップして・・・・と時間をかけてコーヒーを入れる、といったものです(詳しくはこちらで→Wikipedia コーヒー・セレモニー 。

このような一般的な土着文化に触れられることは珍しく、特におもてない系の出来事は運がよくないと遭遇することができずすっごく貴重な体験でした。

レゲエ

たぶん今もそうだと思いますが、老若男女問わずエチオピアの多くの人は「レゲエはエチオピアがルーツだ!」と言います。どこに行ってもボブ・マーリーの顔写真はありますし、移動中のバスもほぼ特定のアーティストのレゲエ調の曲ばかり大音量で流れています。

だいぶ端折りますが「黒人の回帰思想」の1つの要素にエチオピアが含まれていて、元々踊りやすい楽曲が多かったスカやロック・ステディ、ラヴァーズとは別にそれまでのレゲエにはなかったメッセージ性を前面に打ち出した「ルーツ・レゲエ」というモノが生まれ、ルーツ・レゲエのメッセージ性は「回帰思想」が強く歌われていたために、エチオピア人はルーツ・レゲエを誇りに思っていて自分たちのモノと思っているところがあります。

ちなみにジャマイカ人でありあまりエチオピアと関連性のないボブ・マーリーがエチオピア人に支持されているのはルーツ・レゲエを広めることに一役買ったからです。興味がある方はこちらをご覧になってください→ラスタファリアニズム

では次回は

次回はアジスアベバを出てケニア国境を目指します。

 

ではでは~(^^)v

スポンサードリンク

スポンサードリンク

OFUSE

ショップあります

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

ショウタロウ

巨大NGOの下部組織(ブラック)で事務職という名の雑用の後に、なんとなく一人で仕事をしてみようと2008年後半から園芸業界へ。 知識、経験、資金、人脈もほぼ0の状態から始めた元バックパッカーです。2010年から度々NHK Eテレの趣味の園芸に出演させて頂いています。 ⇒もう少し詳しいプロフィールはこちら

-植物

add_filter( 'wp_footer', function() { ?>