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思い出し旅行2002 ~アフリカ大陸縦断 エチオピア編 その3~

2016年10月4日

どもども~(^^)v

本日は「思い出し旅行2002」の日でございます。

今回からエチオピア編です。前回は、

もっぱら古都・ゴンダールでの観光についての内容でした。ファジル・ゲジや特にデブラ・ブラハン・セラシエ教会についてでしたかね。それと高山病になりかけました(^^;)

といった内容でしたかね(;^_^A

一応前回の内容はこちら→ エチオピア編 その2

この記事を書いた人

巨大NGOの下部組織(ブラック)で事務職という名の雑用の後に、なんとなく一人で仕事をしてみようと2008年後半から知識や資金などなど、重要なモノがほぼ0の状態から園芸を生業にした元バックパッカーです。2010年から度々NHK Eテレの趣味の園芸に出演させて頂いています。

もう少し詳しいプロフィールはこちら

登場人物

・Kさん(男)・・・関西出身。当時26歳。知り合った時点で96ケ国制覇。見た目は元サッカー日本代表の岡田監督。アジア大陸横断、アメリカ大陸縦断経験者。

Eちゃん(女)・・・九州出身。当時26歳。看護師。バングラデシュのよくわからない村に1ケ月1人で生活していたという強者。アジア大陸横断済み。

Nさん(女)・・・日系ブラジル人。当時50代。関東に出稼ぎに来てブラジル人男性と結婚し離婚。この旅行はブラジルに帰るために上海から陸路で南アフリカまで行って、そこから飛行機に乗って帰国するついで。日本語、英語、ポルトガル語、スペイン語が話せる。

・僕・・・当時21歳。大学休学中(4年生)。月300時間というバイト生活6カ月を経て一旦アイルランドへ。3カ月アイルランドで飲んだくれた後にエチオピアの国境の町からケニアの首都のナイロビまでの約1000kmの野生動物いっぱいの道なき道をヒッチハイクで駆け抜けたい!という理由だけでアフリカ大陸の縦断を決行中。

エチオピアの国旗
By Drawn by User:SKopp - http://www.ethiopar.net/type/Amharic/hopre/bills/1998/654.ae..pdf, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=343048

エチオピア連邦民主共和国、通称エチオピアは、東アフリカに位置する連邦共和制国家である。東をソマリア、南をケニア、西を南スーダン、北西をスーダン、北をエリトリア、北東をジブチに囲まれた内陸国。隣国エリトリアは1991年にエチオピアから分離した国家である。首都はアディスアベバ。 ウィキペディア

 
人口9410万 (2013年) 世界銀行
通貨ブル
公用語アムハラ語
政治体制連邦共和国、 議会制共和国

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ゴンダールからラリベラ

前回、前々回と2002年当時のエチオピアの道路事情は最悪(今もかもしれませんが)と書きましたが、古都のゴンダールから次なる目的地の巡礼地・ラリベラへの道もそれはそれはたいへんでして・・・・エチオピア内ではどこに移動するにも大変でしたが(-_-;)

距離ですと約300kmですが標高が約2200mと言われるゴンダールから標高が約3000mのラリベラなので、ずっと上がっていく感じなんですよ。

そのためクネクネした道が多いのと、アスファルトではなく文字通り「道」を行くためバスも観光バスタイプではなくどちらかと言うと悪路を走る大きな重量車という感じでして・・・

そのためいかにぬかるみにハマらず・スリップせずというようなことに特化しているため、ものすごく「遅い」んです・・・それこそ野良ロバに追い越されたり地元民が走って追い抜いて行ったり・・・・とノロノロ運転で・・・・( 一一)

300kmの道のりを約15時間ほどかけヘロヘロになりながらラリベラに到着・・・・しかもエチオピアのバスって座席がすべて木で出来てるので長時間座ってるとお尻が痛くなるんですよね(-_-;)

エチオピア正教の巡礼地

これね、「建てた」んではなく「掘った」んですよ

エチオピアには天然の観光資源が比較的に豊かで、タナ湖やアクスムなどまだまだ行きたいところがありますがアフリカ大陸の縦断をしようと思った時に行きたいと思ったのがこの聖地・ラリベラ。エチオピアの中で人工物で世界に誇れ知られた遺産です。

世界遺産的に言うと、「ラリベラの岩窟教会群」なんですが文字通り

岩を掘って作られた協会の集まり

です。

巡礼地や聖地と呼ばれるのは今でも時期になると白装束を纏った巡礼者がここに集いお祈りをしにやってくるからで、その時はテレビが集落に2台しかない村のようなラリベラの町は人でごった返すようでしてね。普段はエチオピアの物価からすると超が付くほど高価な入場券を買いすべての岩窟教会を見ることができます。

なんというか、たぶんこれを読んでラリベラに行く人はいないでしょうが、入場券の受付の前らへんに「自称ガイド」がたくさんいます。僕は「自称ガイド系」の人はすごく嫌いですが、僕らはここでは「少年のガイド」をお願いしました。

と言うのも、しきりにほぼ全員の「自称ガイド」が

「絶対に案内役がいないとこの場所は初心者では見て回れない!」

と言うのでお願いしましたが・・・ここの教会群には朝一で行きガイドを付け一番効率が良い周り方をしてもすべて見終わったのが夕方でした。この教会群はけっこう広大な敷地です。それと標高も3000mということもありこの時も僕は冬用の皮ジャケットと下には4枚着てます。もちろん電気もないのでガイド無しで施設内で迷ったら、それこそ「終わり」です。

なのでラリベラの岩窟教会群に行きましたら、ガイドをつけた方が良いので一応お知らせを(^^;

では岩窟教会の画像を

 

僕らが行った時は修復中の教会がありました。

ラリベラの教会というとだいたいこのショットが出てくる有名なフォト・ポイント。

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教会に通じる道はこのように両側が岩のところが多いです。つよく押すと崩れる「砂岩」ではなくホントに「岩」で、400年前の人らはノミを使って掘ったというのだから驚きですよねー。

たいてい1つ1つの教会にはこのような司祭が常駐してます。いないところもありましたが笑 たいていこうやって写真を撮ると撮った後に「マネー」と言われます(;^_^A

失われたアーク

この「箱」がエチオピア人の誇りなんです。

「モーセの十戒」とか「出エジプト」とかキリスト教のみならずユダヤ教やイスラム教にも影響を与えたとされる預言者・モーセ。「出エジプト」の際には祈りをささげ紅海を歩けるように海を割ったという伝説がある人です。

そのモーセが10の教えを記したものが「モーセの十戒」で、それが納められたとされるのが上の画像の「アーク」という箱らしいんですが、根拠はないですがどうやらエチオピアのラリベラにあるこの「アーク」が十戒を納めていた確率が高いと言われています。信仰心に厚いエチオピアの人はこの教会群と合わせてこの「アーク」にも誇りを持っている人が多いです。

ガイドを雇うと頼んでもなくても必ず連れて行ってくれるます(^^)v

では次回は

次回は、

 

ラリベラの宿の話と首都・アジスアベバ

 

です。

ではでは~(^^)v

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