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思い出し旅行2002 ~アフリカ大陸縦断 南アフリカ編 その6~

2017年7月12日

どもども~(^^)v

本日は「思い出し旅行2002」の日でございます。

この記事を書いた人

巨大NGOの下部組織(ブラック)で事務職という名の雑用の後に、なんとなく一人で仕事をしてみようと2008年後半から知識や資金などなど、重要なモノがほぼ0の状態から園芸を生業にした元バックパッカーです。2010年から度々NHK Eテレの趣味の園芸に出演させて頂いています。

もう少し詳しいプロフィールはこちら

前回の内容

前回は、

快適すぎると言うのもどこか変な夜行バスに乗り南アフリカの位置的に中心のブルームフォンテーンへ。とにかく悪路が多かったアフリカ大陸を思い出しやや感慨深く。ブルームフォンテーンからは小国・レソト王国へパスポートにスタンプがほしいがために日帰り旅行へ。

といった内容でしたかね(;^_^A

前回の内容はこちらで↓

思い出し旅行2002 ~アフリカ大陸縦断 南アフリカ編 その5~

登場人物

・Kさん(男)・・・関西出身。当時26歳。知り合った時点で96ケ国制覇。見た目は元サッカー日本代表の岡田監督。アジア大陸横断、アメリカ大陸縦断経験者。南ア・ケープタウンにてウガンダとルワンダの国境以来の再開。タンザニアで暴漢に襲撃され頭部を負傷。

南アフリカ共和国、通称南アフリカは、アフリカ大陸最南端に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。東にスワジランド、モザンビーク、北にジンバブエ、ボツワナ、西にナミビアと国境を接し、レソトを四方から囲んでいる。 ウィキペディア
国番号+27
通貨ランド
人口5496万 (2015年) 世界銀行
公用語英語、 アフリカーンス語、 ズールー語、 コサ語、 ソト語、 ツワナ語、 北ソト語、 ヴェンダ語、 ツォンガ語、 スワジ語、 南ンデベレ語

 

ブルームフォンテーンを後に

2002年12月の南部アフリカは春の訪れがやや遅れていて、確か南アフリカも季節がややズレていた記憶があります。本来なら初夏でしたが、肌寒かったですしね。

ブルームフォンテーンからヨハネスブルクを経由しプレトリアに向かおうとしていましたが、距離が近いため夜行バスではなく早朝のバスに乗り込みいざ目的地へ。

ヨハネスブルク

バスに揺られて数時間、ブルームフォンテーンからヨハネスブルクまでは約300km。5時間くらいだったかな。お昼頃にヨハネスブルク近辺に。

僕は

  • ビザが発注されない国に無理やり裏技を使ってビザを取得して入国したり
  • 危険地帯に足を踏み入れたり
  • 外務省が退避勧告を出している地域に入ったり

とこういったことは基本的にしない旅行者です。自ら危険地帯や治安の悪い所に入ってカモられるならまだしも、命が無くなるのがオチですしね。

そのため、

ヨハネスブルクを通過しないと目的地のプレトリアに行けない

というのがどうももどかしく・・・まぁバスごと丸1台は強盗からの襲撃は合わないだろうと思っていましたが。

最恐・ヨハネスブルクの伝説

最恐のヨハネスブルク、と言われてもどれくらい最恐なのか?

と知りたい人が多いかと思いますのでインターネット上でネタになっていることや、僕が実際に言われたことや聞いた話を箇条書きにしてみます。

伝説というかその名の通り「都市伝説」ですが、都市伝説・・・じゃないだろうなぁ~ほぼ実話だろうなぁ・・・・。

・ヨハネスブルクで一番安全な公的施設はバスターミナル「内」。しかしターミナル行きの乗り物から降り「外」から「内」に入るまでのたった5mの距離で襲われる。

・上の事項の具体例ですが、空港からピックアップバスに乗りバスターミナル前に到着し、「内」に入れずすべて奪われ何も始まってないのに旅行を強制終了させられる旅人多数。

・ヨハネスブルクの町を歩きたい場合、屈強な現地人5人を雇って歩けば大丈夫と言われていますが、たいていの場合その倍以上の人数に襲われる。

・1日の殺人事件は100件以上。警察が把握できていない。

・英国の地球規模でチェーン展開しているホテルがヨハネスブルクからある年撤退を発表。理由は周辺の治安が悪すぎて旅行者が泊まりに来ることができずセキュリティー費用だけが掛かったため

・しかもそのホテルはベッドなどの備品を置いたまま夜逃げ同然に撤退したため、ビルごと浮浪者のたまり場に。

・身ぐるみを剥がされ、場合によっては喋れないくらい殴られ、ひと段落をした際に最初に声を掛けてくれるのは、ほとんどの場合は出遅れた強盗。理由は「まだ何か持ってる?」

・外務省が公式に発表する「海外治安情報」の5段階評価で2000年前後のヨハネスブルクは「4」。ちなみに「5」が一番悪く戦争など紛争が起こり退避勧告レベル。「4」の地域は基本ビザが支給されない。「世界三大悪都市」の1つであるナイロビでさえ「3」。

・空港の周辺なら安全だろう、とホテルの送迎バスが来るまでの間に一服しようと空港から出たら無一文にされそのまま帰国するハメに。

・現地人から言われる言葉が、「ヨハネスブルクの町中を歩きたい?あなた、頭大丈夫?

・多くの国の大使館や政府機関は元々ヨハネスブルクに拠点があったが、ある時期から60km離れたプレトリアに移転。理由は空港へのアクセスが良い、という公式の発表ですが間違いなくヨハネスブルクだとかなりの数の人が大使館まで辿り着けないから、と言われている。

たいていネット上で書かれていることは話半分くらいだろうな~ということが多いですが、実際にヨハネスブルクの空気を吸った人間の意見としては、

「だよね~そうなんだよね~あるある話だよね~」

です(^^;)

実際に被害に遭った人に会いましたしね。

ヨハネスブルクの雰囲気

黒人移住区のソウェトを脇に見ながら、町中へバスが進み徐々に中心部へ。

バスは真昼間でも赤信号は当然のように止まらず突き進む。いよいよ「ヨハネスブルク」に来たのか、と実感。

ケープタウンのように重厚なビルや高層階のビルがたくさんある・・・・あるけど・・・・

「1階が建物として機能してるビルがほとんどない・・・・というか1階だけ空いてるビルばっかり・・・」

この場合の「空いてる」とは、以前は一階部分にテナントなりが入ってたんだろうけど、荒らされたんでしょうねぇ窓硝子や扉が破壊つくされて、

なんて言ったら良いのかな、1階部分の骨格だけ剥き出しになってる」状態のビルばかりって感じでした。

そして一安心できるバスターミナルへ。

バスターミナル内部へ入るのに3回セキュリティーをくぐりました。しかも3箇所ともにショットガン所有の軍人が何人もいました。

おそらくショットガン所有の軍人がいてバスターミナルに入るのに3回セキュリティーチェックがあるターミナルは世界でここだけだと思います。

僕はあまり勘が働くタイプの人間ではないですが、

三悪都市のナイロビも経験してこの時で人生の中で住所不定が1年を越え20代前半でしたが非日常を見てきましたので大抵の事には驚いたりしなくなってましたが、

「ヨハネスブルクは無理だ・・・歩けない、この町。バスから降りられない」

と直感しました(-_-;)

その後乗客を降ろしプレトリアに向かうためにバスターミナルから出てすぐに高速道路に乗りましてね。

高速道路からはあの「撤退した世界的ホテル」を見ることができ、十数階建てのビル・・・全階窓ガラス割られて窓がないじゃん・・・とか思いつつ、

外には一切出てないのに緊張しっぱなしのヨハネスブルクを後にしました。

1時間もしない内にプレトリアに到着。

前もって伝えてあった安宿前にバスを停めてもらい無事に今夜の寝床を確保、そしてドッと疲れました(-_-;) この夜はむちゃむちゃ寝たんですよねー 笑。

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次回は

というか、いろいろ考えたらプレトリアで書くことはほとんどないので次回で「思い出し旅行シリーズ」終了ですわ( ̄▽ ̄;)

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ということで、次回は、

プレトリアから小国・スワジランド王国へ。2002年12月24日はスワジランドの安宿で他の宿泊客とクリスマスパーティーをすることに。そして12月26日にアフリカ大陸を発ちます。

といった内容になるんじゃないかな~っと思います。

ではでは~(^^)v

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